映画「返校 言葉が消えた日」を観た
映画「返校 言葉が消えた日」を観た
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて。
脚本 徐漢強
監督 徐漢強
出演 王淨 他
ネタバレ注意
この記事にはネタバレが有ります。
雑談
私は、この記事を2021年8月11日の夜に書いている。(アップロード日は12日になるだろう)
今日は酷く暑かった。
湿気を含んだ重い空気が体にまとわりついて、じっとしていても汗が噴き出る。
まさに、茹(う)だるような日本の夏、東京の夏といった感じだ。
今日は本当に暑かったが、全般的に言えば、以前ほどは夏を暑く感じなくなった。
もちろん今でも暑いことに変わりはないのだが、若い頃は、もっと暑く感じていた。
歳を取って、代謝能力が落ちたせいだろうか?
その一方で、冬の寒さへの耐性が弱くなった。
寒さを嫌う気持ちが以前より増した。
子供の頃は真冬でも半ズボンで過ごしたものだが、今では考えられないことだ。
「引退したら南に移住する」という、知り合いの発言をしばしば耳にする。
実際、年上の知り合いの中には引退して台湾へ移住した人もいる。
ネットを見ていると、さらに南方を目指してフィリピンやタイなどへ移住した人の話も時どき目にする。
老後を暖かいフロリダで暮らすのが、アメリカ人の憧れだという話も聞く。
我々、温帯に住む人間が持つ『南国への憧れ』というのは何なんだろうと時々考える。
冬の寒さから逃げたい、寒い季節の無い場所で暮らしたい、というのが1番の理由だろうが、それだけではあるまい。
- 甘い南国のフルーツ・ジュースやカクテル。
- カラフルで風変わりな装飾の建物。
- ゆったりと流れる時間に身を委(ゆだ)ねて、穏やかに暮らす人々。
- 忙しさから解放された日々。
そんなものを何となく想像しているのかも知れない。
文化的な憧れ、『南国情緒』ってやつだ。
まあ、あらゆる憧れは偏見の裏返し、だが。
以上、ネタバレ防止の雑談でした。
ひとこと感想
思ったより普通のホラー映画だった。
場面の見せ方とか音の入れ方とか、良く言えば真っ当な、悪く言えば有りがちなエンターテイメントの手法で演出されていた。
同じ1960年代の学園ものとは言っても、語り口からして文芸作品だった『牯嶺街少年殺人事件』とは全く違った。
隔離され限定された異空間(台湾風に言うと『冥界』)での逃走劇。
ゲームが原作という事で「サイレント・ヒル」を少し連想した。
全体主義的ディストピア感を全面に押し出した不条理ホラーかと勝手に想像していた。
もっとケレン味を効かせたディストピア描写があっても良いと思った。
観客を魔界に引きずり込む『何か』が少し足りない。
ホラー映画の演出として、ツボは押さえていると思う。そういう意味では及第点だろう。
だが、もう少し塩気が欲しい。息が苦しくなるような異様さ・異界らしさが欲しい。
そう感じたのは、私が日本人だから……台湾人ではないからかも知れない。
台湾の観客と、日本人である私とでは、拷問や言論弾圧に対する恐怖心のレベルが違うのではないだろうか? という仮説を立ててみる。
台湾の観客は、舞台が1963年というだけで強い恐怖心を喚起させられてしまうのではないだろうか?
この映画における拷問シーンは、現代のホラー映画としては控えめだ。
しかし、我々日本人と台湾人とでは、拷問や密告のシーンひとつ取っても受け止め方が違う可能性がある。
台湾の戒厳令が解かれたのは1987年だ。
当時を憶えている世代もまだまだ多いだろう。
また現在進行形で、言論の自由が危機に晒されていると感じている台湾人も多いと思う。 台湾人にとって、言論統制や全体主義に対する恐怖は、我々日本人が思う以上にリアルで差し迫った物なのかも知れない。
我々から見ると控え目に思える拷問シーンや密告シーンでも、台湾の人々に対しては強い恐怖を呼び起こすのに充分なのかも知れない。
たとえば我々日本人が『ゴジラが東京に現れ、口から放射能まじりの炎を吐いて街を破壊する』というシーンに対して特別な恐怖を感じてしまうように、だ。
言論弾圧シーンなどに対し余りにもケレン味を効かせてしまうと、台湾の観客にとっては逆に白々しく思えてしまう、だから敢えて抑制した演出にしたという事もありうる。
全ては私の憶測に過ぎないが。
台湾人の友人がいれば、話し合ってみたいところだ。
言論弾圧や恐怖政治などの時代背景をいったん脇に置いてストーリーの筋を追うと、家庭に居場所の無い少女と優男の教師との恋が、やや甘い感じのメロドラマとして描かれていた。
そのへんの描写は、正直オジサンの私には少し甘すぎた。
主人公交代
この物語の『表向き』の主人公はファン・レイシンという名の少女だ。
しかし、かなり早い段階で物語の『真の主人公』は、後輩のウェイ・ジョンティンだと気づく。
『全ては、拷問にかけられ罪の意識に苛(さいな)まれたウェイが見た悪夢だった』という物語構造だ。
ウェイが知らないはずの、ファンの私生活とか教師との禁断の恋といった描写があるのだが、これには2通りの解釈が出来るだろう。
- ファンの私生活や恋愛も含めて、ウェイの妄想だった。
- 自殺したファンの霊魂が、大切なメッセージを伝えるためにウェイの夢の中に入り込んだ。
超自然現象・霊現象は実際に起こったんだとも解釈できるし、そんなものは最初から何も無かったとも解釈できる構成になっていた。
余談
以下に、この映画について感じたことをつらつらと書く。
背景が素晴らしい
数日前『牯嶺街少年殺人事件』を観た。
『牯嶺街』は1960年の物語だった。
1960年代の台湾の風景が素晴らしいと感想記事に書いた。
当然、そのほとんどはスタジオに作られたセットだろう。
一方、この『返校』の時代設定は1963年、『牯嶺街』のわずか3年後の物語だ。
やはり古い台湾の風景の再現が素晴らしい。 ほとんどが学校の中で完結する映画だが、古い校舎の感じが良く出ている。
日本の学校とは似ているようで微妙に違う建物構造(例えば廊下がヴェランダになっている、とか)や細部の装飾は、日本人の私にとって物珍しく、異国の物語だと思わせてくれる。
それと、ヤシの木。
風景にヤシがあると、南国ムードが濃厚に漂い、エキゾチックさが増す。
日本家屋
『牯嶺街少年殺人事件』では、ほとんどの登場人物が日本家屋に住んでいた。
この『返校』では、ファン・レイシンの家の描写と、男性教師の下宿の描写があるのだが、あれは日本家屋だろうか?
部屋の仕切りが『引き戸』だったら日本家屋、蝶番(ちょうつがい)式のスイング・ドアだったら西洋式あるいは台湾式だと思うのだが……よく分からなかった。
それと玄関に三和土(たたき)があって床が高くなっている家は日本式だと思うのだが、色々な様式が混ざっている可能性もあるので、よく分からなかった。
少年たちの顔が濃い
少年たちの顔が、みんな濃い。
彫りが深く、眉毛が太く、目鼻口が大きい。
往年の金城武を思わせる、いわゆるソース顔ばかりだ。
丸刈りという事もあり、どこか九州男児っぽさを感じる。南方系美少年。
特に、主人公の少女ファン・レイシンとペアを組む後輩ウェイ・ジョンティンを演じた曾敬驊(ツォン・ジンファ)は、とんでもない美少年だった。
どうやらオーディションで選ばれた新人らしい。
こりゃ、人気が出るだろう。
世界的な大スターになる事を願う。その素質は充分にある。
ふたたび、南国情緒について
私にも、南の国への憧れはある。
常夏の国で、のんびり暮らしたいと時々思ったりする。
しかし現在(2021年8月11日)の東京は茹(う)だるような暑さだ。
まとわりつく湿気と熱気の中に居ると、寒いのも嫌だが、暑いのも嫌だなと思ってしまう。
人間とはワガママな動物だ。