漫画「メギドの火」全3巻を読んだ
漫画「メギドの火」全3巻を読んだ
作 つのだじろう
ネタバレ注意
この記事には以下のネタバレが含まれます。
- 「メギドの火」つのだじろう
- 「マーズ」横山光輝
- 「デビルマン」永井豪
- 「伝説巨人イデオン」監督 富野由悠季
- 「幻魔大戦」平井和正・石ノ森章太郎
- 「続・猿の惑星」監督 テッド・ポスト
ひとこと感想
1970年代、オカルト・ブーム全盛期の作品。
今の目から見ると、色々とハチャメチャだが、そのハチャメチャ感がちょっと楽しい。
あくまでフィクションとして楽しんでいるぶんには、楽しい漫画だ。
しかし、それにしても、この手のオカルト界隈から派生したと思(おぼ)しき陰謀論を、2021年の今でも大真面目に信じている人々が居るのは、一体どういう事だろう、と思う。
例えば、
『世界の資本主義を裏で操っている秘密結社が存在し、さらにその背後にはトカゲ型の宇宙人が居て、水面下で着々と地球の支配を進めている』
とか、
『スキャンダルで失脚した政治家Aは、トカゲ型宇宙人の侵略から地球を守るため、はるか銀河の彼方〈光の国〉から派遣された〈光の戦士〉であり、敵の巧妙な罠にハメられて失脚したのだ』
とか、そういう陰謀論を真面目に信じる人々が現実に居るというのは、一体どういう事なのだろうか。
話を『メギドの火』に戻す。
物語の最後、超大国どうしが最終戦争に突入し、人類のほとんどが死んでしまう。
わずかに生き残った者たちはイースター島に逃れるが、そこでも人間はエゴを丸出しにして互いに殺し合い、せっかく与えられた復興のチャンスも生かせず、ついに人類は滅びる。
このタイプのラストは、どうやら1970年代のオカルト・ブーム(あるいはスピリチュアル・ブーム)の一つの定型だったようだ。
- この世界には、超越的な力を有する高次の何か(異星人・超古代文明人・神・天使・悪魔・意思を宿した高次元エネルギー体など)が存在する。
- 主人公は偶然その『高次の存在』に触れ、その力の一部を自らの物とする。
- 主人公は、手に入れた強大な力に戸惑いながらも、人類を良き方向に導こうとする。
- しかし主人公の努力も虚しく、人類はその残忍性やエゴを剥き出しにして互いに争い、自滅の道を歩む。
- あるいは、煩悩まみれの人類に愛想を尽かした『高次の存在』によって滅ぼされ(浄化され)てしまう。
ざっと思い出すだけでも以下のような漫画・アニメが思い浮かぶ。
- 「デビルマン」永井豪(1972-1973)
- 「メギドの火」つのだじろう(1976)
- 「マーズ」横山光輝(1976-1977)
- 「伝説巨人イデオン」富野由悠季(1980-1981)
やはり、このタイプの元祖はデビルマンなのだろうか?
あるいは、さらに遡(さかのぼ)って平井和正・石ノ森章太郎『幻魔大戦』あたりにそのプロトタイプを見るべきか?
漫画版の『幻魔大戦』は未読だが、この機会に読んでみようかな。
余談だが現代風にアレンジしてテレビアニメ・シリーズにしたら、幻魔大戦って面白いかもしれない。
1970年代のオカルト(スピリチャル)ブームと、世界滅亡(人類のエゴによる自滅)エンディング・ブームの関係性というのをもう少し深く考えてみたい。
『聖書(黙示録)』『アルマゲドン』『米ソ冷戦』『ベトナム戦争』『公害問題』あたりのキーワードが取っ掛かりになるか。
2000年代セカイ系との関連
2000年代(通称ゼロ年代)に花開いた『セカイ系』の系譜を辿(たど)って行くと1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』に行き着く。
その『エヴァンゲリオン』の系譜をさらに辿って行くと1970年代の『オカルト(スピリチャル)系』の漫画・アニメに行き着く……という解釈は、どうだろうか?
ゼロ年代の『セカイ系』ブームとは、ある意味1970年代『オカルト(スピリチュアル)』ブームのリバイバルだった、という解釈も成立し得るか。
その方面も、もう少し考えてみたい。
続・猿の惑星
互いに争うだけの愚かな人類(の末裔)に絶望し、世界の破滅を選択するラストは、1970年『続・猿の惑星』からの影響もあるか。