青葉台旭のノートブック

吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』について

吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』について

今日、気づいた事。

その1

吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』の『テレビも無ぇ〜』で始まる部分、いわゆるラップ部分のリズムは、百人一首カルタを読む時のリズムを2倍速にしたものである。

つまり、五・七・五のリズムである。(正確には五・五・七・五)

そして、それは、青森県ねぶた祭の跳人(はねと)のリズム(アニメ映画『アキラ』で使われたラッセーラ、ラッセーラ、ラッセーラッセー、ラッセーラというリズム)と同じである。

すなわち、ねぶた祭の『ラッセーラ、ラッセーラ』は、百人一首のリズムを2倍速にしたものである。

その2

『俺ら東京さ行ぐだ』のアクセントは、すべての行で、その頭にある。

いっけん『無ぇ〜』で脚韻を踏んでいるように思えるが、実際の吉幾三の歌い方は、徹底的に『行頭アクセント』であり、末尾の『無ぇ〜』は、むしろ力を抜いて歌っている。

そもそも日本語は、必ず述語が文の末尾に来る構造をしている。
『俺ら東京さ行ぐだ』のような『無い無いづくし』の歌詞を作れば、必ず末尾は『無ぇ』で揃ってしまう。
ただし一ヶ所だけ『ぐーるぐる』と『一度来る』では意図的に韻が踏まれているようにも思える。

現代の大衆音楽では『偶数番目の拍にアクセントがある、4分の4拍子リズム』が多用される。
8分音符で刻むとすれば『ブン、ブン、チャ、ブン』『ブン、ブン、チャ、ブン』である。
このリズムは、脚韻と相性が良い。

仮に吉幾三のように行頭にアクセントを付けて歌いたければ、以下の2つのチャレンジが必要であろう。

  • 脚韻ではなく、頭韻を揃える。
  • 新たに小節の頭にアクセントのあるリズムを開発する。

『俺ら東京さ行ぐだ』を実際に聞いてみて、この曲には、『ブン、ブン、チャ、ブン』という『偶数番目の拍を強調した4拍子』と、吉幾三の『行の頭を強調した歌唱法』を共存させるために何らかの編曲上のテクニックを使っていると感じたのだが、どうだろうか?

最近、詩について時々考える事がある。それも、何らかの韻律を持った定型詩について考える。
詩に型があるのは、古代において詩が特定のリズムを持って歌われていたからだろう。
つまり、詩は文学であると同時に音楽でもあったのだろうと思う。

私は、音楽に関する知識も才能も、詩に関する知識も才能も、どちらも持ち合わせていないが、こうして専門外の事をあれこれ考えてみるのは、良い頭の体操になる。

2021-01-20 08:43