青葉台旭のノートブック

スペースオペラ雑感。

先日、「宇宙戦艦ヤマト2199」をネットフリックスで観た。
大変に良いアニメで、とても楽しんだ。

それ以来スペースオペラについて色々考えるようになったので、ここらで考えをまとめておこうと思った。

最初に自己防衛させてもらうと、私は特別スペースオペラに詳しいわけではない。

時どき、フラッと宇宙へ冒険に出かけたくなる時があって、一年に一度くらいの割合で「スペースオペラ書きたい」病にかかってしまう。

きっかけは色々なのだが、今回は「ヤマト2199」を何気なく観てしまったのが原因だった。

いま「変身ヒーロー」ものを書いていて、本当はそれに集中すべきなのだが、一度「スペースオペラ書きたい」という気持ちが湧いてしまうと、それが収まるまで他の事が手につかなくなってしまう。

という訳で、このところ「スペースオペラとは」という事を考え続けていた。
以下にそのまとめを書く。

スペースオペラの定義

宇宙を舞台にした冒険活劇の事である。

本来は、20世紀前半アメリカのパルプ・マガジン(紙質の悪い大衆向け小説雑誌)に、極彩色の扇情的なイラストとともに掲載された娯楽小説に付けられた名称だ。

全盛期は1930年代である。

1940年代の若手SF評論家が、先輩のSF作家たちが大量に書き殴っていた低俗な宇宙冒険小説に対し、嘲笑の意味を込めて「スペースオペラ」と呼んだのが、この言葉の始まりである。

低俗な西部劇を「ホース・オペラ」と呼び、低俗なメロドラマを「ソープ・オペラ」と呼んでいた当時のアメリカの状況を踏まえての言葉である。

つまり最初は軽蔑の意味を込めた名称だった。

さらに時代が下ると宇宙冒険活劇の再評価が始まり、それとともに本来は蔑称だったはずの「スペースオペラ」という言葉から軽蔑的な意味合いが薄れ、単にジャンルを表す言葉になった。

質の悪い作品が大量生産される → 若い世代が軽蔑の意味を込めて「〜オペラ」と名付ける → さらに若い世代が「理屈抜きで楽しめる娯楽作品も、それはそれで正解」と再評価する → ジャンルとして定着する

という歴史的な流れだろう。

本来は蔑称だったものから、いつしか軽蔑的な意味が外れて単にジャンルを指す言葉になったという意味では、我が国における「傾き(かぶきと読む)」から「歌舞伎」への変遷に近いかもしれない。

個人的には、

  1. ブームに乗って粗悪品が大量生産された時代があり、一度下火になる時代を経て、再び評価される時代が来た、という歴史的な経緯。
  2. 本来、スペースオペラという言葉には軽蔑の意味が含まれていた。

という2点は、スペースオペラを理解する上で重要なポイントであると思う。

スペースオペラの舞台

スペースオペラの舞台は以下の3つである。(3つしか無い)

  1. 宇宙空間
  2. 宇宙船の船内
  3. 地上(惑星、衛星、スペースコロニーなどの地面の上)

この3つのうちのいずれかでドラマが進む。当たり前だ。

当たり前であると同時に、これは重要な観点だと思う。

スペースオペラのサブジャンル

  1. ミリタリー系
  2. 惑星秘境冒険系
  3. 宇宙ハードボイルド系
  4. コメディ・パロディ系

などのサブジャンルがある。

現在はミリタリー系が主流であり、惑星秘境冒険系と宇宙ハードボイルド系は下火である。

ミリタリー系

現在の主流はミリタリー系スペースオペラである。
文字どおり「星間戦争(スターウォーズ)」をテーマにした物語だが、直接の先祖は映画「スターウォーズ」というよりも「スターシップ・トゥルーパーズ」の原作小説「宇宙の戦士」と思われる。

さらに遡れば、スペースオペラ初期の作品であるE・E・スミスの「レンズマン」からして既にミリタリー系の要素が多分に含まれていた。

典型的なストーリーとしては「田舎町に生まれ育った世間知らずの少年が士官学校に入学し、新兵として実戦を経験する中で成長して、やがて立派な一人前の戦士になる」といったものだろう。

宇宙空間とは、要するに何もない真っ黒な空間だ。
その何もないベタッとした真っ黒な空間で、どうやったら派手な見せ場を作れるか?

そう考えたとき、やはり「宇宙戦艦どうしの艦隊戦」「宇宙戦闘機どうしのドッグファイト」という発想に行きがちだろう。スペースオペラとミリタリーの相性が良いのは当然と言える。

惑星秘境冒険系

「秘境冒険もの」という小説ジャンルは、19世期〜20世期前半のヨーロッパ人が、彼らにとっての秘境であったアフリカや中南米あるいはアジア諸国に出かけて行って、そこで何らかの冒険をするというものである。
映画で言えば「インディ・ジョーンズ」シリーズがこれに当たる。

まだ海外旅行が一般的ではなかった時代、架空の物語の中で外国のエキゾチックな街並みや大自然の中で冒険活劇を繰り広げ、エキゾチックな現地の文化に触れ、エキゾチックな現地の美女と恋に落ちるという幻想を提供してくれるのが、このジャンルだった。

それを遥か彼方の惑星に置き換えたものが「惑星秘境冒険SF」だ。

しかし、交通機関が発達して一般人でも気軽に海外旅行を楽しめるようになり、またインターネットを通して、砂漠の遺跡やらジャングルやらエキゾチックな古都の写真・動画をいつでも観られるようになった現在、この「秘境冒険」の訴求力は弱まっているように思う。

単に「古代遺跡のある砂漠の惑星です」「エキゾチックな文化を持つ原住民がいるジャングルの惑星です」「シベリアのような氷の惑星です」というだけでは、もはや新規性に乏しいと思う。

宇宙ハードボイルド系

その名の通り、ハードボイルド小説の舞台を宇宙に置き換えたようなスペースオペラだ。

あるいは宇宙ノワールとでも呼ぶか。

宇宙を股にかけた犯罪者たちと、それを追う銀河警察などの活躍(暗躍)を描くサスペンス・アクション物語である。
例えば、寺沢武一「コブラ」などがそれに相当すると思う。

アクションの動機が「国家間の戦争」ではなく「個々人の欲望」であるようなスペースオペラである。

かつては、このジャンルの作品も一定数供給されていたように思うが、現在、新たに書かれる事は稀のようだ。

コメディ・パロディ系

娯楽作品に有りがちな設定や話はこびを茶化したような作品である。

宇宙旅行の難易度

その作品世界において宇宙旅行が広く一般化しているか、それとも一部の特権的な人間だけの物か、そのどちらに設定するかというのは大事である。

ワープ航法を使って遥か遠くの星に行くという行為が、一部のエリートや軍人にしか出来ないものなのか、それとも、ごく普通の人でも気軽にできるものなのか。

異星人の存在

その作品世界において異星人の存在は、どれくらい一般的なのか。

宇宙港ちかくの酒場に入った時、そこには「カエル型異星人」やら「タコ型異星人」が当たり前のように居るのか、それとも居るのは人間(地球人とその末裔)だけなのか。

結論

スペースオペラという以上、本来なら宇宙を舞台にすべきであり、宇宙を舞台にして手っ取り早くアクションを盛るなら「宇宙艦隊戦」「宇宙戦闘機のドッグファイト」を見せ場にするのが定石だろう。

スペースオペラと呼ばれる物語の多くがミリタリー系であるのは当然だ。

「ヤマト」も「エンタープライズ号」も「インペリアル・デストロイヤー」も、みな軍艦である。宇宙戦艦である。

しかし、別の方法でスペースオペラ的ドラマを作れないものか。

あえて逆張りをする訳ではないが、今の私は「宇宙戦艦に乗る」以外に宇宙に行く方法はないものだろうかと考えている。

地球(あるいは銀河全体)の存亡をかけて巨大戦艦に乗り込むというよりは、もう少しミクロな形で宇宙旅行を楽しみたいという気持ちが、今は強い。

2020-08-26 05:15