青葉台旭のノートブック

映画「ハロウィン」を観た。

2019年(日本公開)版。

TOHOシネマズ新宿にて。

公式ページ

脚本 デヴィッド・ゴードン・グリーン、ダニー・マクブライド
監督 デヴィッド・ゴードン・グリーン
出演 ジェイミー・リー・カーティス 他

ネタバレあり

この記事にはネタバレがあります。

この記事にはネタバレがあります。

この記事にはネタバレがあります。

この記事にはネタバレがあります。

この記事にはネタバレがあります。

5回書いたからセーフ。

ちょっと期待しすぎたかな

正直、最初から最後まで映画に入り込めずに終わってしまった。

マイケルの主治医が突然裏切ったり、孫娘と彼氏の痴話喧嘩的やりとりとか、全体に脚本が雑で散漫な印象を受けた。

肝心の殺人鬼マイケルにも、何だか迫力が無い。
マイケルの恐ろしさが伝わって来ないから、主人公たちとの戦いにも緊張感が無い。
どうせ正義の側が勝つんでしょ、と、傍観者的に冷めた目でしか観られなかった。

主人公が自宅を魔改造して秘密基地を作っているという中二病設定は、まあ良いとして、クライマックスのオチが、何の伏線も無しにいきなり『こんな事もあろうかとトラップを仕掛けておいたのさ』って……あまりの後出しジャンケンぶりに失笑してしまった。

通ぶった過去作オマージュは気障(きざ)なだけだ

作り手側の「俺、分かってるんだぜ」感が見え見えの過去作品へのオマージュも、あざといと言わざるを得ない。

例えば、「二階の窓から突き落とされた主人公を、突き落としたマイケルが見下ろす、しかし、いつの間にか彼女の姿が無い……」というのは、オリジナルの1978年版「ハロウィン」のラスト・シーンの立場を逆転させた構図だが、そこまでやるなら、もっと主人公側の「狂気」を突き詰めて観客をゾクゾクさせなければ駄目だ。そうしないと、わざわざ立場を逆転させた構図にする意味が無い。

極め付けは、ラスト・シーン。
私は、このラスト・シーンを観て、正直、軽い怒りさえ覚えた。
通りがかったトラックの荷台に、血まみれの主人公たちが乗って逃げていくシーンは、明らかに『悪魔のいけにえ』のラスト・シーンに対するオマージュだが……
いやいや、元ネタ『悪魔のいけにえ』に漲(みなぎ)っていた狂気は、この映画には一滴も無いから。
ちょっと中途半端な気持ちでオマージュとか、しないでくれるかな。

それでも本作の評価は高い

私は、映画を観終わった後、他人の感想ブログやfilmarksのコメントを読む習慣があるのだが、本作の評価の高いことに驚いた。

検索リストに、絶賛コメントが続々と現れる。

主人公の娘が、最後近くにニヤッと笑って「ガッチャ!」と決め台詞を言うシーンがある。

「ガッチャ」と言うのは、子供がイタズラを仕掛けた相手に対して言ったり、鬼ごっこで鬼が捕まえた子供に対していう言葉で、「やーい、引っかかった!」とか「つーかまえた!」という程の意味だ。

私は、このシーンを観て「くさいセリフだな」と苦笑した。

しかし、ネットで他の人たちの感想を読むと「この決めゼリフ、カッコイイ!」と言う声が多い。

昔、日本のテレビドラマで、日本の俳優が相手を指さして「ビンゴォ!」と叫んでいて、そのあまりの小っ恥ずかしさにテレビのスイッチを切った記憶があるが、今年あたり日本のドラマで「ガッチャ!」と言うセリフが流行するかもしれない。
そういえば、「アイ、ガァリッ!」って言うのも、いっとき流行したな。

最近、自分自身の評価と世間一般の評価が大きく食い違う事があって、戸惑う。

私が、映画に求めているものと、世間一般の人が映画に求めているものが、だんだん食い違ってきているのだろうか。

それとも、もともと私の感性と多数派の感性の間には大きなズレがあって、それがネットなどのツールが発達した事で可視化されたという事なのだろうか。

2019-04-15 00:06