映画「IT それが見えたら、終わり。」を観た。(ネタバレ)
六本木ヒルズの東宝で見た。
この記事はネタバレを含みます。
未見の人は気をつけてください。
私は、スティーブン・キングの原作も、1990年のテレビ映画も見ていない。
以下に述べるのは、純粋に2017年公開の劇場映画「IT それが見えたら、終わり。」単独の感想である。
いつものハリウッド娯楽大作映画。それ以上でもそれ以下でも無い
エンドロールが終わって劇場が明るくなった時の感想は、「よくあるハリウッド娯楽大作映画。それ以上のものは無い」というものだった。
いつもの、ハリウッド娯楽大作映画お決まりの……
週刊少年ジャンプみたいな「友情、努力、勝利」の物語。
「仲間ってマジ最高」
「遺伝子で繋がった親子より仲間の方がマジ大事」
いつもの、ハリウッド娯楽大作映画お決まりの……
「明るい面ばかりではなく、心に悲しみや傷や弱さを抱えた陰影のある登場人物たち」
「自らの心のダークサイドを克服する物語」
いつもの、ハリウッド娯楽大作映画お決まりの……
「お決まりの場面で鳴り響く、お決まりの音楽と効果音」
美しいシーンでは、どこかで聞いたことがあるような美しい音楽。
不気味なシーンでは、どこかで聞いたことがあるようなバイオリンの不協和音。
ネバネバした物体に対しては「くちゅくちゅ、にちゃにちゃ」という、いつもの効果音。
突然敵が現れて「どーん」
いつものハリウッド娯楽大作映画と同じく、上に書いた特徴は全て、観客に「そこそこの満足感を与える」ために計算されつくしたもの。
少なくとも「支払った入場料と、映画館で過ごした2時間なり3時間は、無駄ではなかったな」という程度には満足感を与えてくれる親切設計。
しかし「観客の魂を揺さぶり、心を鷲掴みにする」には程遠い。
今のハリウッド娯楽大作につきまとう「それ以上でも、それ以下でも無い」感。
言い方を変えると、どうしても「良いにつけ、悪しきにつけ」という修飾語を付けざるを得ない「今風のハリウッド娯楽大作映画」感。
つまり、
- よく計算されているストーリー。
- ダークサイドも含めて、よく計算されたキャラクター設定。
- 金が掛かっているからゴージャス感がある。
- とりあえず、1800円の入場料と、映画館で過ごした時間が無駄になったとは思わせない、そつの無い作り。
しかし、じゃあそれ以上の魂を揺さぶるような何かがあるかといえば、それも無い。
「ま、良いんじゃないですかね……」という感想以上のものが、なかなか出て来ない。
よかった点。
田舎町の周辺の自然が美しかった。
田舎町の周辺に広がる森や、子供たちが水遊びをする川が美しく、目の保養になる。
「アメリカのどこにでもあるような(しかし、実際にはどこにもない)田舎町」の物語というのはハリウッド製ホラーの定番なのだが、アメリカは広いから、同じ田舎でも荒涼とした砂漠の真ん中にある田舎町とか、トウモロコシ畑が延々続く中にポツンとある田舎町とか、映画によってバラエティーに富んでる。
今回の田舎町は、例えば「ゲット・アウト」と同じ「森の中にある田舎町」系の舞台なのだが、「ゲット・アウト」が恋人の家周辺のごく限られた場所で進行する一種のシチュエーション・ホラーで、森という存在を孤立した主人公を取り囲む不気味さの象徴として描いていたに対し、この「IT〜」は「美しく牧歌的な背景の中で繰り広げられる陰惨な事件」という対比を強調した作りになっていた。
そのため、ちょっとあざといぐらいに自然の美しさが強調されていたが、それでも美しいものは美しいので目の保養になった。
少女がブラジャーとパンティーだけの姿で日光浴をしているシーンで、ガン見していた少年たちが、あわてて目を逸らすシーンは笑ってしまった。
ベタネタですけどね。やっぱり、ああいうプチ下ネタは笑ってしまう。
いつも通り、子役たちの演技は良かった。
もう子役っていうのは子役であるってだけで、良い演技をする事が約束されたようなものですね。
ピエロの口の中から化け物の口が出てくる感じは気持ち悪くて良かった。
エイリアンなんかと同じように、今回のピエロも「口の中から口が出てくる」系の化け物なのだが、その気持ち悪さはエイリアンよりも上だと思った。
ラスト・シーンの、美しい自然の中で子供たちが輪っかになって手を繋ぐシーンは良かった。
美しい自然の中で、子供たちが美しい事をする……もう、それだけで美しいでしょ。
以下、余談。
リンクを張って気づいたが、公式ウェブサイトのURLがサブディレクトリ形式だった。
つまり、個々の映画が独自にドメインを取得するのではなく、ワーナーブラザーズ・ジャパンという配給会社のドメインがあって、そのサブディレクトリとして、個別の作品である「IT」のホームページがあるという形式だ。
これは、なかなか好感の持てる政策だ。
私はURL、あるいはドメイン名にとって最も重要なことは「永続性」だと思っている。
つまり、ひとたびそのURLがこの世界に設定されたのなら、未来永劫、そのURLはこの世界に存続するべきだと思っている。
なかなか現実的には難しいかもしれないが、少なくとも「心意気」の点ではそうであるべきだと思う。
そうしないと、例えば、この感想記事で張ったリンクが劇場公開が終わると同時にリンク切れを起こす、というような事になってしまう。
リンク切れは最悪だ。
劇場公開終了後も、あらすじと「この映画の劇場公開は終了しました」の一言だけのホームページでも良いから、せめてURLだけは永続させて欲しいと思う。
その一方で、毎週、毎月、毎年公開される何十、何百、あるいは何千という映像作品が、それぞれ独自にドメイン名を取得している。
毎年毎年、無数に公開され続ける自社の作品すべてに対し、配給会社はいちいち独自のドメインを取得し、過去に取得したドメインも含めて毎年使用料を払い続け、メンテナンスし続けるつもりなのだろうか?
過去に取得したドメインの累積の上に、新たな映画のドメインを毎年毎年、追加し続けるつもりなのだろうか?
私は、そんなことは現実的ではないと思うし、また、よく言われるインターネット・アドレスの枯渇という観点からも有害だと思う。
そんなことをするより、各配給会社なり制作会社が、会社として一つのドメインを持ち、そのサブディレクトリに個々の映画のホームページがある、という構造の方が健全だと思う。
年月が経過し、配給元なり管理会社なりが変更された映画については、元のホームページには「この映画の管理責任は弊社から〇〇配給会社に移りました」という一言と、移管先の会社のへのリンクを貼って置けば良い。
映画に限らず、日々この世界には何万という商品が生み出されては消え、生み出されては消えている。
その一つ一つの商品に対して個別のURLが紐づけられている状態が理想ではあるが、しかし、個々の商品が「ドメイン名」まで取得するのは、少々やりすぎのような気がする。
私は私自身のために「aobadaiakira.jp」というドメイン名を取得し、そのサブディレクトリにて小説を公開しているわけだが、個別の小説一つ一つにまで個別のドメイン名を当てがおうとは思っていない。
つまり、そういう意味だ。
静的サイト・ジェネレータを作り直している。
私は自分のドメイン「aobadaiakira.jp」の記事生成に自作の静的サイト・ジェネレータを使っている。
今、それをイチから作り直している。
そのSSGが完成するまでの間、一時的に記事の投稿を控えようと思っていた。先日劇場で観た映画「IT それが見えたら、終わり。」についての感想も、自作のSSGが完成した段階で「aobadaiakira.jp」と「はてなブログ」に同時投稿するつもりだった。
しかし、劇場公開映画というのは、ある種の「なま物」であるだろうし、旬を過ぎてしまってから感想を投稿するというのも何となく違う感じがするので、先行して「はてなブログ」に感想を書くことにした。
「取り急ぎ」……というやつだ。自分のドメインへは後で転記すれば良いだろう