スュン、全てを知る。
1、オリーヴィア
公使館本館の階段を早足で下りながら、オリーヴィアが部下に声を掛 けた。
「スュン、直 に出発できる?」
「はい。大丈夫です」
「よし」
一階まで下りてそのまま中庭を通り、車庫のある東館へ急ぐ。
「ペーター、ペーターは居ないか!」
車庫に並ぶ馬車の陰から、御者の男が現れる。
「お呼びですか。オリーヴィアさま」
「今すぐ、馬車を出せ。サミア公立中央博物館へ向かう。……いや、偽装馬車ではない。エルフ公用車を使う」
ペーターがゆっくりと公用車を車庫の前に出す。
緑のエルフ は、御者が後部座席の扉 に手を掛 ける前に、自分で開けて車内に乗り込んだ。
慌 ててスュンも従い、馬車に乗って自分で扉 を閉める。
「出してくれ」
オリーヴィアがペーターに言った。
「かしこまりました」
金銀に飾られた美しい機械式馬車が、そろりそろりと中庭を横切 って公使館北門へ徐行する。
ペーターの合図で門衛が扉 をゆっくりと開ける。
公使館の敷地を出て、車道へ。
鼻先を東に向け、馬車の速度は徐々に上がっていった。
「さて……」
都市国家城内を東に向かって走る馬車の中で、オリーヴィアがスュンに話しかけた。
「到着までしばらく時間がある。コスタゴンさまも『全てを教えろ』と命ぜられた。
これから私が話すことを、一言も漏 らさずに聞きなさい」
「はい」
「何から始めるか……そう……やはり、そもそもの発端から話すべきだろうな。三千年前の大災厄から」
考えをまとめるように少し間を空け、オリーヴィアが話し始める。
「我々の住むこの世界は、三千年に一度の周期で『空間活動期 』と呼ばれる時期に突入する」
「空間……活動期」
「この世界の安定性が損 なわれ、空間が歪 む、異世界との境界が曖昧 になるなど、不可解かつ圧倒的な規模の現象に見舞 われる……六千年前のアフルーン大陸を襲った大地殻変動……三千年前の異世界からの侵略……確かな資料は残っていないが、恐らく九千年前も、その前も、三千年ごとに世界規模での大災害が発生していた筈 だ」
「すると現在は」
「そうだ。新たな三千年期……空間の不安定化と異常現象……大災厄の日が目の前に迫っている。我々エルフは万物の霊長として……この世で最も強く、最も知的な種族として、世界を大災厄から救う義務がある。在サミア……いや、世界各地の人間社会で活動するエルフたちは、言わばその尖兵 という訳だ」
「……」
「いきなり大きすぎる話を聞かされて混乱している、という顔ね?」
「正直、何が何だか……」
「では三千年前の大災厄に話を集中しましょう。それくらいは既に習っているでしょう?」
「はい」
「要約してみなさい。出来るだけ短く。要点だけ」
「さ……三千年前、とつぜん世界各地に異形の怪物が出現し、エルフ、人間、その他ありとあらゆる動物たちを蹂躙 し、屠 り、喰 らった。エルフも人間も、動物たちも、短い間に見る見るその数を減らしていった」
戸惑いながらもスュンは話し始める。
「しかし怪物らの進撃も長くは続かなかった。四人の勇者たちが現れ、世界中を旅しながら強力な武器と魔法で怪物らを殺して回り、とうとう、この世界に異形の怪物は一匹も居なくなった。大賢者スタリゴン、剣士ガリッド、大商人ブルーシールド、天才武器職人ヴァルティウス。彼ら四人は力を合わせ、再び世界に平和をもたらした」
「まあ、要約すればそんな所でしょうね。そして本題はこれから。その英雄伝には後日談がある」
「後日談?」
「世界に平和が戻ったある日、大賢者スタリゴンが他の三人の勇者を集めて言った。『我々には、三千年後ふたたび来るであろう大災厄に備え、後世の者らを災厄から救う義務が有る』と。そしてスタリゴンは三千年後……つまり、現在 のことね……今回よりもさらに強力な怪物どもが異世界から侵入して来ると予言した……予言は、もう一つ。三千年後の世界にも新たな勇者が出現し、彼ら四人と同じように世界を救うべく異形の者どもと闘う……大賢者は、三千年後に生まれる後継者に強力な武器を残して、世界を救う手助けをしよう、と、勇者たちを説得した」
「強力な武器、ですか」
「スタリゴン以下四人の勇者たちが全精力を注ぎ込んだ、後世の誰にも真似の出来ない究極の武器よ……その一。異世界からの侵略者は、世界中に同時多発的に出現する。それに対抗するため、予 め世界各所に防衛のための武器、通称『けもの』を配備する。『けもの』にはスタリゴンの秘儀によって『疑似的な魂 』が埋め込まれ、勇者の命令のもと半自律的に怪物を攻撃する。新たな勇者が出現するまでの三千年間は静かに眠り続け、時を待つ……その数は数千体」
「数千? 正確な数は分からないのですか?」
「それが我々の抱 える問題点の一つ。後で説明するから、今は私の話を聞きなさい……その二。未来の勇者自身が直接使用する武器を造る。武器は選ばれた一族に預 けられ、一族は親から子、子から孫へと代々武器を受 け継 ぐ。そして未来の勇者が出現した暁 に、一族の末裔は武器を勇者に返す。この武器には勇者自身を守り攻撃力を高めるという目的の他に、世界中に散らばった『けもの』を同時に操る『制御器 』の役割も与えられている」
「制御……器……」
「……そう。計画通り事が運べば、未来の勇者は、その『制御器』と世界中に配備された『けものたち』の力で、異形の物どもに対し有利に戦いを進められる筈 だった。……しかし長い年月の間に、少しずつ計画に狂いが生じてしまった。第一に、世界中に配備された眠れる『けものたち』……その相当数が、現在行方不明 になっている。人間の杜撰 な管理によってね」
「人間? 人間が管理していたのですか? その魔法で動く強力な武器を?」
「大賢者スタリゴンも、人間の愚かさを甘く見ていたとしか言いようがない。あるいは、他の三人の勇者たちに気を使ったのか。大賢者以外は皆人間だから……世界中に配備された『けもの』のうち、森に配備されたものはエルフが、平地に配備されたものは人間が管理するというのが初期の取り決めだった……我々エルフは、もちろん大丈夫よ。森の『けもの』は一体残らず細心の注意を払われ、最高の環境下で現在 も眠り続けている。問題は、人間が管理するはずだった平地の『けもの』……権力争い、所有欲、金銭欲、人間どうしの戦争などで、その多くが失われてしまった」
「失われた? 壊れてしまったのですか?」
「いいえ、大賢者スタリゴンが持てる全ての魔力を注ぎ込んで造った武器を、人間ごときが簡単に破壊できるはずがない。失われた『けものたち』は、世界の何処 かに埋もれている筈 だ」
「では我々の使命というのは……」
「過去に人間たちが放棄した『けもの』を一体でも多く発見し、エルフの管理下に置くこと。これが第一の目的。人間との協定に違反する行為であるのは事実だ。しかし人間側に充分な管理能力が無いと分かった以上、協定違反も止 むを得 ない……そして最近、我々エルフ公使館に新たな仕事が加わった。『勇者の探索』という仕事が、ね」
「探索ということは、現時点でその『勇者 』なる人物が特定できていないという事ですか?」
「未 だに分かっていない。少なくともエルフ長老会は知らない。……何故 か? 簡単なこと。その『勇者 』は未 だ名乗 りを上げていない。つまり……覚醒していない……その一方で潜冥蠍 事件のような、空間の不安定化を示す現象が既に始まっている……そして、さらに都合の悪いことに、一部の『けもの』に目覚めの兆候が出始めている。スュン、これがどういう意味か、分かる?」
「勇者の覚醒が遅れれば、この世界は再び異世界の物どもに蹂躙 されるという事ですね?」
「そう。しかし、それだけではないのだ……」
ふと、オリーヴィアが馬車の窓に視線を移した。
窓からは、都市国家サミアの大通りを行き来する無数の馬車が見えた。
「まったく人間という生き物は、機械式馬車が好きね。まあ、確かに便利には違いないけど……この都市国家 だけで、いったい何台の馬車が走っているのでしょうね。数百台? 数千台?」
「わ、私には分かりません」
スュンが、この上司は突然なにを言い出すのかと不審 に思いながら答える。
「……スュン。例えば……例えば、よ? 通りを走る何百台だか何千台だかの馬車から、一斉 に御者 が居なくなったら、どうなると思う?」
「突然、御者 が、ですか……暴走……するのではないでしょうか……使い手がいなければ」
そこでスュンが、何かに気づく。はっとしてオリーヴィアを見る。
オリーヴィアが頷 いた。
「……そう。このまま勇者 の覚醒が遅れれば、使い手の出現を待たずに世界各地の『けものたち』が目を覚ます。水時計のような時限装置によるものなのか、あるいは微小な空間の歪 みを感知して目覚めるように出来ているのかは知らないけれど……とにかく間もなく『けものたち』が活動を開始する。使い手の居ないまま目を覚ました『けものたち』は、やがて暴走し始める。異世界の怪物どころの話じゃないわ。我々のこの世界は、それを守るために造られた筈 の『けものたち』によって滅ぼされてしまう」
「だから……一刻も早く勇者 を……未 だ自分が勇者 だと気付いていない誰かを見つけて、覚醒を促 す……」
スュンの言葉にオリーヴィアが再び頷 いた。
ダーク・エルフの少女が、緑のエルフ の上司に尋 ねた。
「手がかりは? 何か手がかりは有るのですか?」
「はっきり言って、全く無し。強 いて挙 げれば、人間である、という事かしら」
「人間……人間の中から勇者 が現れる?」
「今こうして通りを歩いている人間たちの中に、ひょっとしたら勇者 が居るのかもしれないわね。森で、落ち葉の中からたった一枚の金貨を見つけるより難しい。それでも我々は世界の救うため、それを成功させなくてはいけない。この広い人間社会の中から、たった一人の勇者 を見つけ出し、その身柄を拘束する……そして、エルフ長老会の秘術を使い、われわれの命令には絶対服従するよう精神を改造し、管理下に置く。ペーターのように」
オリーヴィアはチラリと御者席に座る男を見た。
「せ、精神魔法を使うのですか?勇者 に?」
「当然でしょう。いかに勇者 とは言え『人間の自由意志』などというあやふやな物にこの世界の命運 を託 す訳にはいかない」
「し、しかし、ペーターは……御者 というのは赤ん坊の頃から精神的な条件付けをされて育つのではないのですか? すでに勇者 が成人していたとしたら効果が無いのでは……」
「そこまでは私も知らないわ。精神魔法は長老会門外不出の秘術なんだから。でも……例えば、予 め何らかの精神攻撃で勇者 の自我をズタズタに破壊したうえで、真っ白に戻った精神にエルフへの絶対服従を植え付ける……そんな事も、可能なんじゃないの? 長老会の方々なら……」
「人間の勇者 を探し出し、自我をズタズタに破壊し、精神魔法でエルフへの絶対服従を植え付ける……」
スュンは、ペーターのドロンと濁った瞳を思い出した。
(勇者 を自分たち の操り人形にする……?)
公使館本館の階段を早足で下りながら、オリーヴィアが部下に声を
「スュン、
「はい。大丈夫です」
「よし」
一階まで下りてそのまま中庭を通り、車庫のある東館へ急ぐ。
「ペーター、ペーターは居ないか!」
車庫に並ぶ馬車の陰から、御者の男が現れる。
「お呼びですか。オリーヴィアさま」
「今すぐ、馬車を出せ。サミア公立中央博物館へ向かう。……いや、偽装馬車ではない。エルフ公用車を使う」
ペーターがゆっくりと公用車を車庫の前に出す。
「出してくれ」
オリーヴィアがペーターに言った。
「かしこまりました」
金銀に飾られた美しい機械式馬車が、そろりそろりと中庭を
ペーターの合図で門衛が
公使館の敷地を出て、車道へ。
鼻先を東に向け、馬車の速度は徐々に上がっていった。
「さて……」
都市国家城内を東に向かって走る馬車の中で、オリーヴィアがスュンに話しかけた。
「到着までしばらく時間がある。コスタゴンさまも『全てを教えろ』と命ぜられた。
これから私が話すことを、一言も
「はい」
「何から始めるか……そう……やはり、そもそもの発端から話すべきだろうな。三千年前の大災厄から」
考えをまとめるように少し間を空け、オリーヴィアが話し始める。
「我々の住むこの世界は、三千年に一度の周期で『
「空間……活動期」
「この世界の安定性が
「すると現在は」
「そうだ。新たな三千年期……空間の不安定化と異常現象……大災厄の日が目の前に迫っている。我々エルフは万物の霊長として……この世で最も強く、最も知的な種族として、世界を大災厄から救う義務がある。在サミア……いや、世界各地の人間社会で活動するエルフたちは、言わばその
「……」
「いきなり大きすぎる話を聞かされて混乱している、という顔ね?」
「正直、何が何だか……」
「では三千年前の大災厄に話を集中しましょう。それくらいは既に習っているでしょう?」
「はい」
「要約してみなさい。出来るだけ短く。要点だけ」
「さ……三千年前、とつぜん世界各地に異形の怪物が出現し、エルフ、人間、その他ありとあらゆる動物たちを
戸惑いながらもスュンは話し始める。
「しかし怪物らの進撃も長くは続かなかった。四人の勇者たちが現れ、世界中を旅しながら強力な武器と魔法で怪物らを殺して回り、とうとう、この世界に異形の怪物は一匹も居なくなった。大賢者スタリゴン、剣士ガリッド、大商人ブルーシールド、天才武器職人ヴァルティウス。彼ら四人は力を合わせ、再び世界に平和をもたらした」
「まあ、要約すればそんな所でしょうね。そして本題はこれから。その英雄伝には後日談がある」
「後日談?」
「世界に平和が戻ったある日、大賢者スタリゴンが他の三人の勇者を集めて言った。『我々には、三千年後ふたたび来るであろう大災厄に備え、後世の者らを災厄から救う義務が有る』と。そしてスタリゴンは三千年後……つまり、
「強力な武器、ですか」
「スタリゴン以下四人の勇者たちが全精力を注ぎ込んだ、後世の誰にも真似の出来ない究極の武器よ……その一。異世界からの侵略者は、世界中に同時多発的に出現する。それに対抗するため、
「数千? 正確な数は分からないのですか?」
「それが我々の
「制御……器……」
「……そう。計画通り事が運べば、未来の勇者は、その『制御器』と世界中に配備された『けものたち』の力で、異形の物どもに対し有利に戦いを進められる
「人間? 人間が管理していたのですか? その魔法で動く強力な武器を?」
「大賢者スタリゴンも、人間の愚かさを甘く見ていたとしか言いようがない。あるいは、他の三人の勇者たちに気を使ったのか。大賢者以外は皆人間だから……世界中に配備された『けもの』のうち、森に配備されたものはエルフが、平地に配備されたものは人間が管理するというのが初期の取り決めだった……我々エルフは、もちろん大丈夫よ。森の『けもの』は一体残らず細心の注意を払われ、最高の環境下で
「失われた? 壊れてしまったのですか?」
「いいえ、大賢者スタリゴンが持てる全ての魔力を注ぎ込んで造った武器を、人間ごときが簡単に破壊できるはずがない。失われた『けものたち』は、世界の
「では我々の使命というのは……」
「過去に人間たちが放棄した『けもの』を一体でも多く発見し、エルフの管理下に置くこと。これが第一の目的。人間との協定に違反する行為であるのは事実だ。しかし人間側に充分な管理能力が無いと分かった以上、協定違反も
「探索ということは、現時点でその『
「
「勇者の覚醒が遅れれば、この世界は再び異世界の物どもに
「そう。しかし、それだけではないのだ……」
ふと、オリーヴィアが馬車の窓に視線を移した。
窓からは、都市国家サミアの大通りを行き来する無数の馬車が見えた。
「まったく人間という生き物は、機械式馬車が好きね。まあ、確かに便利には違いないけど……この
「わ、私には分かりません」
スュンが、この上司は突然なにを言い出すのかと
「……スュン。例えば……例えば、よ? 通りを走る何百台だか何千台だかの馬車から、
「突然、
そこでスュンが、何かに気づく。はっとしてオリーヴィアを見る。
オリーヴィアが
「……そう。このまま
「だから……一刻も早く
スュンの言葉にオリーヴィアが再び
ダーク・エルフの少女が、
「手がかりは? 何か手がかりは有るのですか?」
「はっきり言って、全く無し。
「人間……人間の中から
「今こうして通りを歩いている人間たちの中に、ひょっとしたら
オリーヴィアはチラリと御者席に座る男を見た。
「せ、精神魔法を使うのですか?
「当然でしょう。いかに
「し、しかし、ペーターは……
「そこまでは私も知らないわ。精神魔法は長老会門外不出の秘術なんだから。でも……例えば、
「人間の
スュンは、ペーターのドロンと濁った瞳を思い出した。
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