リビング・デッド、リビング・リビング・リビング

出発。(その10)

 ハイブリッド・カーの後部ドアが開き少年が出てきた。
「タクヤ……」
 道路わきの木の陰で弦四河げんしかわ厳十郎げんじゅうろううめいた。
 宇宙人がりついた母親に噛まれて死んだ孫……それとも孫自身が宇宙人に憑りつかれ、弦四河の手で射殺されたのか……
 どちらにしろタクヤは死んだはずだ。
 その、死んだはずのタクヤが弦四河の目の前に立っていた。
(い、生きている? タ、タクヤが……生きている? そ、そうか! わしが殺したのは偽物だったのか! そ、そうだ! そうに違いない。あれは宇宙人が化けた姿だったのだ! わしは宇宙人を殺しただけだ! タクヤは死んでいなかった!)
 少年に続いてハイブリッド・カーから二十歳前後のやや太り気味の男が出てきた。
 後部座席から出てきた男は、先ほど運転席から出てきた男と何やら話しながら軽トラックの方へ歩いて行った。
 再び少年…………がハイブリッド・カーの後部座席に乗り込み、ドアを閉めた。
 弦四河厳十郎は立ち上がって木の陰から飛びだした。
 無我夢中だった。
 死んだと思っていたタクヤが生きていた! 
 卑劣な宇宙人どもから孫を取り返し、今度こそ、命に代えても守らなければいけない。
 森の中から日光の降り注ぐ路上に飛びだし、左手で後部座席のドアを開けた。

 * * *

 ガサガサッ、という葉擦はずれの音に不意を突かれ、軽トラックの近くに立っていた風田かぜた太史ふとしはハイブリッド・カーを振り返って見た。
 森から飛びだした老人が後部ドアを開け、隼人はやとを引きずり出そうとしていた。
「タクヤ、祖父じいちゃんが助けに来たぞ」とか何とか、わけの分からない事をしきりに叫んでいた。
「弦四河さん……」
 呆然としてつぶやく太史を置いて、風田は甥を助けるためにハイブリッド・カーに駆け戻ろうとした。
「来るなぁ!」
 老人が叫んだ。
 同時に猟銃の筒先が風田に向けられた。
 風田の足が止まった。
 血走った老人の目が恐ろしかった。
 何をするか分からないと思った。
 本当に、風田に向けて引き金を引くかもしれない。
「タクヤ、さあ、来るんだ! 今度こそ祖父ちゃんが守ってやる!」
 そう叫びながら、老人は右手の銃を風田に向けたまま、左手で隼人を車内から引きずり出そうとした。
 
 * * *

「タクヤ! なぜ外へ出てこない! 祖父ちゃんが守ってやると言っているだろう!」
 車内に居座ろうとする隼人少年の必死の抵抗に、弦四河は次第に苛立いらだちをつのらせていった。
 最愛の孫が、自分の言う事を聞いてくれない。
 肉親の自分より、クルマに乗っている見ず知らずの他人の方が良いとでも言うのか。
 いきなりが弦四河の腹に蹴りを当てた。
 思わず少年の服をつかんでいた左手を放し、よろよろと二歩後ろへ下がってしまった。
 その隙を逃がさず、はハイブリッド・カーのドアを閉め、鍵を掛けてしまった。
 軽トラックから駆け寄ろうとする二人の男を視界の端に捕え、弦四河は銃を両手で構えて男たちに狙いを付けた。
「近寄るなと言っているだろう! わしの言葉が分からんのか! さては貴様ら宇宙人か!」
 男たちの足がピタリと止まった。

 * * *

「やばい……弦四河さん……完全にイッちゃってるよ」
 風田の隣で、老人に聞こえない小さな声で太史がつぶやいた。
「弦四河って、さっき言ってた元村長さん?」
「そうです。やばい……何か言わなきゃ」
 そして大声で叫んだ。
「弦四河さん! 僕です! 禄坊ろくぼう太史ふとしです!」
「ふ、太史くんだと?」
 老人の血走った目が揺らぎ、相手の顔を確かめるように細くなった。
 太史が畳みかける。
「そうです! 僕です! 太史です! 二十歳になったら一緒に猟場へ行こうって、このあいだ約束したじゃないですか……」
「ほ……本当に、太史くんなのか?」
「はい!」
「なら、なぜタクヤを連れ去ろうとする?」
「え?」
わしに黙って、たった一人の孫をどこへ連れて行くつもりだ!」
「弦四河さん、何を言って……」
 突然、老人が銃口を後部座席の窓へ向けた。
「それとも、このか?」
 再び瞳に狂気の光が宿った。
「どうも、さっきから言動がおかしい。わしの孫なら、なぜ素直にわしの言う事を聞かんのだ!」
 老人は銃を構え直し、後部座席の窓ガラスごしに車内の隼人に狙いを付けた。
「まさか、こいつは宇宙人じゃないだろうな? 宇宙人がタクヤに化けているのか! なら太史くん、君も宇宙人という事になるぞ!」
 そう叫ぶ老人を見つめながら、太史が小さな声で風田に言った。
「やばいです……弦四河さん……十年前に村長を辞めてからずいぶん精神的にまいっていたみたいだけど、最近は年齢のせいか記憶力も悪くなっていて……」
「とうとう完全にへ行っちまった、って事か?」
「たぶん、さっきの集落でタクヤくんにスラッグを撃ち込んだのは弦四河さんだ……その時点でタクヤくんは『噛みつき魔』に変化へんげしていたんでしょう……仕方が無いとはいえ、たった一人の孫を自分の手で殺して……」
「そのショックで、精神的に最後の一線を越えてしまった……って訳か」
 いずれにしろ、このまま『宇宙人』の濡れぎぬを着せられて銃殺されるわけにはいかない。
(今は、とにかく時間を稼ぐしか……)
「隼人くん!」
 風田は閉め切った車内にも聞こえるように叫んだ。
 老人の体がビクッと震えた。
「い、いや……! ! おとなしくお祖父じいさんの言う事を聞きなさい」
 ゆっくりと後部座席のドアが開いた。
 両手を頭の上にげて、少年がクルマの外に出てきた。

 * * *

大剛原おおごはらさん、逃げましょう!」
 後ろに停車しているSUVの車内で、棘乃森とげのもりれいが運転手の大剛原に言った。
「あのじいさん、ヤバいですよ。完全に目がイッちゃってます……あれじゃあ『何とかに刃物』ならぬ『何とかに猟銃』です。こっちに注意が向く前に、全速力でバックして逃げましょうよ」
「しかし……」
 玲の提案に戸惑いながら、大剛原は前方のハイブリッド・カーに視線を戻した。
 銃口を突きつけられた後部座席のドアが開き、中から両手を挙げた少年がゆっくりと出てきた。
 その顔の真ん前に、猟銃の銃口がピタリと貼り付いている。
 目の前に銃を突き付けられた少年の心境を思うと胸が痛んだ。
 軽トラックの前にいる風田と禄坊も、うかつに動けないようだ。
(逃げるだと? 猟銃を頭に突き付けられた少年を見捨てて、逃げる? この私が……)
 今はハイブリッド・カーに集中している老人だが、SUVを動かせば当然こちらに注意を向けるだろう。銃撃してくるかもしれない。しかし逃げ切る可能性もゼロでは無い。てみる価値は充分にあった。
 ハイブリッド・カーに乗る仲間たちを見捨てる気があるなら、という話だが。
「昨日まで、私たちはお互い見ず知らずの人間だったんです」
 大剛原の逡巡しゅんじゅんを見透かしたように玲が畳みかけた。
偶然たまたま、同じキャンプ場で一晩過ごしたっていうだけの仲じゃありませんか。彼らを見捨てて逃げたって、文句を言われる筋合すじあいは無いんです……それとも大剛原さんは変な正義感やプライドのために、娘さんの命を危険にさらすんですか?」
 その言葉に助手席の結衣ゆいが気色ばんだ。
「ちょっと、玲! いくらなんでも、それは言い過ぎでしょう!」
 助け舟を出してくれた我が子に何も言えず、後部座席でわめく小娘に反論も出来ず、大剛原はステアリングを握る両手にぎゅっと力を入れた。
(そうだ……後ろの小娘の言うとおりだ……私は、世界がこんな風になって以後、何が何でも娘の命を守ると決心した。そのために人としての道徳心も、警察官としても職業倫理も捨てると心に決めた……)
 ここに残れば、娘を危険にさらすことになる。
 今逃げれば、先行車の人々を見捨てることになる。そのうちの二人は小学生だ。
 銃を向けられた人々を見捨てて逃げた卑怯な父親……その姿を娘の目の前に晒すことになる。
 助手席に座る最愛の娘へ顔を向けた。
 大剛原を見返す結衣の瞳が揺れていた。
 父親がどういう判断をしようと自分はそれに従う……娘の目がそう言っていた。
 同時に、父親の判断を恐れていた。残って自分たちの命が危険に晒される事を恐れ、逃げて父親の心が傷つくことを恐れていた。