リビング・デッド、リビング・リビング・リビング

出発。(その5)

 今から四十年以上前、大剛原おおごはらが小学校一年生か二年生だった頃の話だ。
 ある休日の午後、大剛原少年は父親と一緒に近所の公園へ行った。
 出がけに母親から「今夜は唐揚げだから、鶏肉を○○グラム買ってきて」と言われたような気もするが、ひょっとしたら頼まれたのは別の日だったかもしれない。古い記憶だから思い違いもありうる。
 初夏の強い日差しの下、父親と二人のんびり歩いて市立公園に向かった。
 公園には、初夏から秋口まで毎週末ソフトクリーム売りの屋台が出ていた。休みの日に公園へ行くということは、父親がソフトを買ってくれるということだ。少なくとも少年時代の大剛原はそう思っていた。
 思った通り、公園の中央広場で父親に「ソフト食うか?」と聞かれた。
 ベンチに座ってソフトを食べていると、妙に派手な(それでいて小汚い)服の老婆がやって来て、そこら中にパン屑のような物をき始めた。目ざとく餌を見つけたはとが老婆の周囲に集まり始め、あっという間に老婆は何十羽もの鳩に囲まれた。
『鳩にえさを与えないで下さい』という看板の前でパンを撒き続けている老婆を見て、父親が舌打ちした。
「あの婆さん、まだ鳩に餌をやっているのか……市の職員に注意されただろうに」
「何で、餌を上げちゃ駄目なの?」
 少年が父親に聞いた。
 父親は「増え過ぎちゃうからさ」と答えた。
「餌を与えれば飢え死にする鳩が減って、どんどん卵を産んで数が増えてしまうだろ。数が増えれば、たくさんふんをして公園が汚れる。増え過ぎた鳩は公園を出て街中を飛び回り、そこらじゅうに糞をばら撒く……あの婆さんは鳩に愛情を注いでいるつもりなんだろうが、実際にはこの街に住んでいる動物の数を自分勝手にいじっているのさ」
「そうか……」
 大剛原少年は、父親の説明に一応納得しつつも……小動物に餌をやるのは楽しそうだな、と、パン屑を撒く老婆を見て思った。
 老婆は餌を撒きながら公園の反対側へ歩いて行った。それにられて移動する鳩の群れは、芸能人やスポーツ選手に群がるファンのようだった。
 父親が「トイレに行ってくる。おとなしくベンチに座って待っていろ」と言って立ち上がり、公衆便所へ向かった。
 上にったクリームの部分を食べ終え、少年の手にはウェハース製のコーンだけが残った。父が公衆便所の中に隠れたのを確認して、広場の真ん中にコーンを砕いて撒いてみた。
 ベンチに戻ってコーンの欠片かけらを見ていると、鳩が一羽だけ降りて来て、それを始めた。
 自分の撒いた餌を小動物が食べている……それを見ているだけで理屈抜きにわくわくと面白い気持ちになった。
(この感じを味わいたくて、あのお婆さんは餌を撒きにやって来るんだな)
 そんな風に少年が思った直後、突然、花壇の茂みからげ茶色の物体が飛びだし、物凄い速さで走って、鳩に飛びかかった。
 野良猫だった。
 鳩の首根くびねっこに噛みつき、飛び立とうとして広げた翼に前足の爪を突き立てて抑え込む。藻掻もがく鳩の首から真っ赤な血が流れ、抜けた羽毛が地面にった。
 猫は、鳩の体から力が抜けるまで体を押さえ続け、グッタリとした首をくわえて反対側の花壇の茂みに消えた。
 時間にして十秒か十五秒くらいの出来事だった。
 少年はベンチから立ち上がることも声を出すこともできなかった。頭がじんじんとしびれ、いろいろな感情が胸の中でうずを作った。
 動物が動物を殺して食べた……テレビのドキュメンタリーでしか見られない光景をの当たりにして驚いた事。
 全身をバネのようにして鳩に襲いかかった猫を見て単純にと思った事。
 その一方、せっかく餌を与えていた鳩が殺された事で、野良猫を憎らしく思う気持ちもあった。

 * * *

(あの時……少年の私は、鳩に対して自分勝手に感情移入していたんだろうな)
 初老の域に入った現在、五十一歳の大剛原は、当時の自分の気持ちをそういう風に分析した。
(自分の与えたコーンの欠片かけらを鳩が食べてくれたから、私はあの鳩に対し一方的な仲間意識を感じたんだ……だから猫を憎んだ。鳩を殺されたから……)
 人間の価値基準なんて適当なものだと思った。
(当時もし我が家で猫を飼っていたら、逆にあの野良猫に感情移入して『よくやった』と喜んでいたかもしれない)
 鳩を助ければ猫が飢える。助けなければ鳩は猫に食われる。
 あの時、少年だった自分は決断をせまられたんだ……大剛原は、そう思った。意識する、しないに関わらず、猫と鳩のどちらを助けどちらを見殺しにするかを強制的に選択させられた。
(誰を殺し、誰を救うのか……その決定責任を人間一人一人が背負う時代が来るかも知れない)
 棘乃森とげのもりれいや若者たちに対しては、さも自分が日本という法治国家の存在を信じて疑わないような発言をしているが、じっさい大剛原はそれほど楽観していなかった。むしろ九割以上の確率で、国家という存在は既に消滅しているだろうと思っていた。
 ただ、現時点でそれを認める訳にはいかないというだけの話だ。

 * * *

「ここからF市です。中心街はまだ先ですけど、ここが市の境界線です」
 禄坊ろくぼう太史ふとしが道路わきの看板を指さして言った。
 風田が看板を見ると「森の伝承とUFOの里、山比戸村やまひとむらへようこそ!」と書いてあった。
 ご丁寧ていねいに、看板の上には直径四十センチほどの空飛ぶ円盤の模型がプラスティックの棒に支えられていた。
 看板を作った当時は銀色に輝いていたであろう円盤は、塗装のほとんどが剥げ落ち、灰色のプラスティック地を汚くさらしていた。
 その横を通過しながら、ハイブリッド・カーの運転席で風田が言った。
「『森の伝承とUFO』とはまた、奇妙な組み合わせだな」
「十年くらい前、この辺でUFO騒動があったのを憶えていませんか?」
 太史に問われ、風田はの辺りをいた。
「うーん、そう言えばそんな騒ぎがあったかもしれない。その頃は東京の大学に居たから関心が無かったし、あんまり憶えていないけど」
「そのUFO騒動の震源地がここ山比戸村です。民俗学だか歴史学だかのフィールド調査に来ていた大阪の大学生が『UFOを見た』と言い出して……テレビのバラエティ番組なんかでも紹介されて、お笑い芸人とかも来たりして、結構大きな騒ぎになったんです」
「ああ、思い出した。そんな事もあったかも、なぁ」
「今じゃF市の人間でさえ、ほとんど忘れていますけどね……現在の山比戸村はF市に吸収される形で合併して、単なる『山比戸区』になってますけど……十年前は独立した自治体だったんです。当時から村は過疎化と財政難にあえいでいて、村議会はF市に吸収されるか、それとも独立独歩で行くかで、真っ二つに割れていたそうです」
「ふうん……」
「何と言っても独立派の弱みは、村経済の低迷と過疎化と財政難です。何とか収入源を見つけて村おこしをして、都会に出ている若者を呼び戻して職に就かせ、税収を上げて財政を立て直したい」
「そこに降って湧いたUFO話ってわけ?」
「はい……フィールド調査に来ていた女子大生の一人が『自分はエイリアンに連れ去られた』とか言い始めて(あとで分かった事ですが、マスコミ志望だったその女子大生は、テレビ制作会社への就職内定と引き換えにうその証言をするよう言われていたそうです)、一時的にテレビのバラエティやら週刊誌の取材がヒートアップして」
「村人たちもそれに、と」
「……独立派だった当時の村長が『この絶好の機会チャンスを逃がしてはならん』と、急遽きゅうきょ、苦しい財政から臨時予算を組んで、村を挙げてUFO騒ぎを盛り上げました。あの看板はその名残なごりです」
「『UFO』の部分は分かったけど『森の伝承』の部分は?」
「ごらんの通り、村は深い森と平野の境界線上にあります。中世から江戸時代にかけて、村人たちと森の漂泊民とのあいだに交流があったらしく、修験者やら天狗やら森の妖怪の伝説がに多いんです……女子大生のエイリアン・連れ去りアブダクション事件が起きたとき、古来より村に伝わる『赤ん坊を偽物とすり替える鬼』の伝承と者が居ました。『この村には昔からUFOが飛来していた、取りかえ鬼の伝承はその名残なごりだ』という訳です」
「なるほど……『ボディ・スナッチャー』は『チェンジリング』のSF的解釈、というわけか」
「ボディ……何ですか?」
「ボディ・スナッチャー。元々の意味は十九世紀初頭に横行した『死体泥棒』の事なんだけどね。向こうは土葬が主流だろ? 夜中に墓を掘り返して死体を盗むやからが居たのさ。十九世紀のイギリスでは、医学生の増加とともに、彼らが解剖実験に使う死体が不足し始めていて、盗んだ死体を大学教授に売りつける連中が居たんだ。盗まれないように鍵を付けた墓なんていう物まであった位だ」
「すごいですね」
「十九世紀の『死体泥棒』とは別に、現代のSFにも『ボディ・スナッチャーもの』というジャンルがあるんだ。いつの間にか家族や恋人や近所の人たちが地球外生命体と入れ替わっていたり、脳に寄生されて操られていた……ってやつ。禄坊くんも漫画や映画で一度や二度は見たことあるだろ?」
「有名な漫画にも、そのタイプがありますね……チェンジリングというのは何ですか?」
「まさに『取りかえ鬼』の事だ。ロールプレイング・ゲームでお馴染おなじみの妖精やら妖怪たちが、夜中にこっそり人間の赤ん坊と妖怪の子供をすり替えるんだ。すり替えられた事に気づかない人間の親たちは、妖怪の子供をてっきり我が子だと思って育てる」
「我が子と妖怪が知らぬ間にすり替わっている……まさにボディ・スナッチャーですね」
「これは俺の持論だけど……SFというのは、多かれ少なかれ古代の神話や伝説のリメイクという部分があると思っている。その現代風アレンジっていうか、さ」
「……なるほど」
「ところで禄坊くんて、何で、そんなに詳しいの? この村の騒動に、さ……十年前って言ったら、君は八歳くらいだろ?」
「その村長さん……村長さん、僕の父親の友達なんです。正確には『猟師ハンター仲間』ですね」
「え? 君のお父さん、猟師なの?」
「もちろん趣味ですよ。鹿とか猪とかきじとか鴨とかを狩って食べるのが趣味なんです」
 その時、背もたれを倒した助手席で死んだように眠っていた沖船おきふね由沙美ゆさみが「ううん」とうなって体を動かした。
 少女の目蓋まぶたっすらと開いた。