随筆・雑多なもの

映画「ドライヴ」のネタバレ感想。

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監督:ニコラス・ウィンディング・レフン
主演:ライアン・ゴズリング

*ネタバレ有り

あらすじ

 舞台はロサンゼルス。
 主人公は、昼は小さな町工場で自動車修理工として働き、ときどき映画の撮影で自動車のスタントマンをしながらロサンゼルスのアパートで暮らしている。
 彼には、もう一つ「裏の顔」があり、優秀なドライビング技術を使って強盗犯の逃走を助けて金を稼いでいた。
 ある日、アパートのエレベーターで、幼い息子と二人で隣の部屋に住んでいる若い女と出会う。

感想

 トータルとしては充分に楽しめた。
 ただ、少々、不満が無い訳でも無かった。
 最初は、シーンとシーンのつなぎ目に置きがちな余計な説明カットが無いことから、割と突き放した感じのドライな演出で行くのかなと思っていた。
 しかし、話が進むにつれて装飾的なカットやカメラの動きが出てきて、音楽の挿入の仕方も、「不穏な場面で、いかにも不穏な音を鳴らす」というハリウッド映画に有りがちな説明的なものになっていって、ちょっと困った。
 日本の映画にも時々ある「つくす男の物語」、つまりフーテンの寅さんや任侠映画などにも通じる「男が、惚れた女のために、何の見返りも求めず命を懸ける」という話だった事、また、序盤の演出が「余計な説明を削ぎ落した」ものだった事から、日本人の私も楽しめる内容なのかなと思って観ていた。
 しかし観ているうちに、だんだんとハリウッド流の有りがちな「説明演出」も混入してきて、ちょっとテンションが下がった。
 それでも、典型的なハリウッド流娯楽大作ほどには「ありがち説明演出」が、くどくどと繰り返される事は無かったので、トータルとしては楽しめた。

良かった点

冒頭シーンは緊張感があって良かった。

 力押しのカーチェイスではなく「静かに逃げる」緊張感があって、そうかと思うと発見された瞬間にアクセルを思い切り踏み込んだりして、その緩急が素晴らしかった。
 また、最後にバスケットの試合が終わって出てきた客たちに紛れて逃走するというオチも良かった。

説明カットが(比較的)少ないのが良かった。

シーンとシーンのつなぎ目で、余計な説明カットを(比較的)入れていないのが、贅肉をそぎ落とした感じで良かった。

突然見せられる残酷シーンが鮮烈で、それでいて、くど過ぎなくて良かった。

 ヒロインの夫が質屋に強盗に入り、成功して無事に店から出てきたな、と思ったら突然首を撃たれて倒れるシーンには驚いた。
 また、強盗一味の女が、洗面所で頭をショットガンで撃たれて頭蓋骨が爆発する様子をスローモーションで映したシーンは鮮烈で、それでいて、嫌悪感が出てくる直前に次のカットに移るという手際の良さだった。
 また、エレベーターで殺し屋に襲われるシーンでも、最後に殺し屋の頭を何度も踏みつけて最後にグシャッと潰れてしまうというのも良かった。

主演のライアン・ゴズリングの演技が良かった。

 とくに、クライマックスの中華料理屋での敵ボスとの会話シーンは、終始無表情の中に、ごくわずかな目の周辺の筋肉の動きで「最初は怒り」「最後は、あきらめと悲しみ」を表現していて良かった。
 無表情なのに「怒り→あきらめと悲しみ」という心の動きがひしひしと伝わって来て良かった。
 とにかく、この中華料理屋のシーンのライアン・ゴズリングの演技は、観る者をドキリッとさせて、良かった。

ロサンゼルスの乾いた感じが良かった。

 まあ、ハリウッド映画は大抵そうなんだが……やはり、風景や気候風土は大事だなと思った。

残念だった点

最初、余計な説明カットが無かったせいで「ぜい肉をそぎ落とした演出」で行くのかな、と思ったら、それ程でも無かった。

 案外、カメラの余計な動きとか、アクションの前に挿入される、ハリウッドでよく使われる「不穏な音」が、この映画でも使われていて、ちょっとゲンナリした。

「突然の暴力」も、かなり良く出来ている方だが、若干、詰めが甘い部分も見受けられた。

 例えば、食堂で悪い奴らが集まって話し合っているシーンで、ボスが失敗した子分の目にフォークを突き刺し、包丁で喉を切って殺す場面がある。
 北野武の映画の「箸を目に突き刺す」有名なシーンの研ぎ澄まされた感じと比べると、「ドライヴ」の演出は詰めが甘い。
 わざわざカウンターまでフォークを取りに行って戻って来て男の目に突き刺し、さらに包丁をカウンターに取りに行って戻って来て喉をかき切る……という動作なので、とても冗長になってしまってる。  

ライアン・ゴズリングの演技は上手かったが「うまい演技だな」と分かってしまった。

 良かった点と矛盾するが、ライアン・ゴズリングの演技は、とても上手いと思ったのだが、観客に「上手い演技だな」と思わせてしまう感じで、そこが若干気になった。
 もちろん下手な演技を見せられるよりは、ずっと良い。……自分で書いていて贅沢な要求だという自覚はある。  

ライアン・ゴズリングがイケメン過ぎる。

 こういう「つくす男」ものの主役を演じるには、ライアン・ゴズリングはイケメン過ぎる。
 いい男に生まれたのは別にライアン・ゴズリングのせいではないが、この手の話の主役はイケメン過ぎない方が良い。
 そうかと言って「フーテンの寅さん」の渥美清みたいなファニーフェイスだと、さすがに、隣の奥さん(ダンナは刑務所の中)が主人公にヨロッとなるという話に無理が出てくるので、こういう話のイケメン度としては「普通よりちょっとだけいい男」ぐらいが、ちょうどいい。
 ライアン・ゴズリングも恐らくその点は分かっていて、自分のイケメンっぷりを中和しようと「コミュニケーションは不得意だがドライビング・テクニックは超一流のクルマ・オタク」というキャラクター設定に沿った「終始、無表情で何を考えているか分からない演技」を一生懸命しているのだが、いかんせんイケメンは何をやってもイケメンなので「寡黙な所がカッコ良いイケメン」という印象から脱し切れているとは言えなかった。
 それでも普段はできるだけ「ゆるんだ顔=ややバカっぽい顔」でいるように努力して演技をしていて、その点に関しては好感が持てた。

エレベーターでのキス・シーンをどう解釈するか。

 主人公とヒロインと殺し屋が同じエレベーターに乗り合わせ、主人公が殺し屋に気づいた直後、ヒロインにキスをするという不思議なシーンがある。
このシーンの解釈をどうするか。

解釈その1。キス・シーンは主人公の妄想で、実は二人はキスをしていない。

 この解釈だと、第三者も乗り合わせたエレベーターの中で堂々とキスをするという事の説明も付くし、キスと同時にエレベーターの照明が暗くなるという不思議な演出にも説明が付く。
 しかし、そう仮定すると、キスが終わってエレベーターの照明が元に戻った時の主人公とヒロインの立ち位置が変だ。キス・シーンが妄想だとすると、次のアクションの直前に二人が向かい合った形になっているのは不自然だ。
 まあ多少強引だが、主人公が殺し屋との闘いの前にヒロインを安全なコーナーへ押しやる時に、たまたま、そういう立ち位置になったという解釈も可能だが。

解釈その2。主人公とヒロインは本当にキスをした。

 本当にキスをしたのだとすると、「凄腕のドライバーでケンカも強いが、コミュニケーション下手で、女に告白も出来ない」という「つくす男の物語」としての純粋さが失われてしまうし、「ちょっとした痴話げんかの後の和解のキス」という、これまたハリウッド映画に有りがちな演出に(ストーリー上は、もっと切実なシーンだが)見えてしまう。

もう二度と会えない。

 妄想であれ、実際にキスをしたのであれ、
「殺し屋からヒロインを守るために戦えば、自分が裏社会で修羅場をくぐり抜けてきた男だという事がバレてしまい、堅気であるヒロインとの関係は決定的に失われてしまう。その前にせめてキスだけでもしておきたい」
 という主人公の切実さを強調したかったのだろうとは思うのだが……

さいごに

 一般的な傾向として、
「日本の映画の演出は感情過多で湿っぽい。ウェットすぎる。ハリウッドの演出は機能主義的で無駄が無い」
 こんな印象を持っている観客は多いだろう。
 しかし、この「ドライヴ」を見て思ったのは、全体としては贅肉を削ぎ落した演出を目指しているだけに、わずかに混入している「ハリウッド流演出」が不純に感じられてしまうな、という事だ。
 典型的なハリウッド流演出も、それはそれで典型的な日本式演出とはまた別の意味で感情の盛り上げ方が過剰で、しかも最近はお約束演出に頼ってしまっている感じがある。
 北野武の映画を観てしまった後だと、こういう「ハリウッド流の盛り上げ方」……たとえばホラー映画なら化け物だ現れる前に必ず鳴り響くバイオリンの不協和音とか、この「ドライヴ」で言えば、アクションが始まる時にエレクトリック・ギター(シンセサイザーかもしれない)の「ブンッ、ブンッ、ブンッ」という低音のリズムで不穏さを盛り上げる演出とかは、どうしても余計なものに思えてしまった。
 最近のハリウッド映画を観ると、こういう「お約束演出」にあまりに頼り過ぎている感じがして、それが「ハリウッドの終わりの始まり」を暗示しているような気がしてならない。
 ちょっと厳しい感想になってしまったが、トータルとしては、この「ドライヴ」は充分に満足できる良い映画だったと思う。