映画「マネー・ショート」google play で観た。
マネー・ショート 華麗なる大逆転 ブルーレイ+DVD セット [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: パラマウント
- 発売日: 2016/07/06
- メディア: Blu-ray
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*ネタバレです。
いわゆる「痛快逆転劇エンターテイメント」ではない。
はじめに注意していただきたいのは、この映画は「固定観念にとらわれて真実が見えていない多くの常識人に対し、はぐれ者たちが逆転の発想で一泡ふかせる」といった痛快逆転劇ではないという事だ。
そういうエンターテイメントをこの映画は指向していない。
じゃあ、いわゆる芸術映画なのかというと、それも違う。
芸術映画を好んでみるような「知識人」「ハイブロウ」のみを対象にはしていない。むしろ、サブプライムの対象であり、この問題の一番の被害者である(と、おそらく製作者側が思っている)低学歴低所得の人々に見てもらいたい、かれらを啓蒙したい、という意図が所どころにある。
しかし「金融問題」という難しいテーマと「低学歴低所得の人々を啓蒙したい」という意図が、必ずしもうまくパッケージされていないと思った。
これは「空売り」ではなく、保険金を使った儲け話ではないだろうか。
原作本の邦題は「世紀の空売り」だ。
原作は読んでいないが、映画を観る限り、これは厳密な意味での「空売り」ではないのでは、という感想を持った。
原作の原題も、映画の原題も「The Big Short: Inside the Doomsday Machine」で、short には「空売り」という意味があるらしいから、間違ってはいないのだろうが、日本語の意味としての空売りは「いまは手元に無い商品を『今は現物を渡せないけど、必ず後で渡すから』と言って売る」という信用取引の事だろう。その「後で渡す」という、現金の取引と商品の受け渡しの間の時間差を利用して利益を稼ぐという事のはずだ。
ところが、主人公たちが金儲けに使った商品は「Credit Default Swap」という一種の保険だ。映画の中のセリフを私なりに変えて言えば「将来、火事が起こると予想した家に、家の持ち主でもない赤の他人が保険を掛ける」という手法だ。その家が本当に火事になれば保険金で大儲けできるが、火事にならない限り掛け金を払い続けなければいけない、というのがこの映画のメインのサスペンスという事だ。
ストーリーを理解するうえで最低限、感覚をつかんで置くべき4つの専門用語。
金融業界の専門的な用語が出てくるのでネットで調べた。
その結果、ストーリー上、ある程度感覚をつかんでおかなくてはいけない用語は4つあると思った。
以下に、その4つのキーワードを私が素人なりにつかんだ感覚を書く。
間違っている可能性もあるので、映画を観る前に、この4つの言葉を調べて置くことをお勧めする。
- MBS
- 「Mortgage Backed Securities」日本語訳は不動産担保証券。mortgage=担保。backed=裏付けされた。securities=有価証券。つまり、不動産ローンの担保を証券にして、他人に売るということ。
- CDS
- 「Credit Default Swap」credit=信用。default=不履行。swap=交換。私なりに訳せば「元本割れ補てん」という事か。誰かの持っている金融商品が元本割れしたとき、その元本と時価との差額を現金で補てんする一種の保険。対象の金融商品が実際に元本割れするまでは、毎月保険料を払い続けなければいけない。一般的な保険と違い、自分の持っていない金融商品に対するCDSを買うことが出来る。例えて言えば「赤の他人の家に火災保険を掛けられる」。映画の主人公たちは、これに賭けた。
- CDO
- 「Collateralized Debt Obligation」日本語訳は債務担保証券。collateralized=担保された。debt=債務。obligation=債券。自分の持っている債権を裏付けにして発行する債券。つまり他人に貸した金を返してもらう権利を証券にして、他人に売るということ。
- サブプライム・ローン
- 「Subprime Lending」subprime=優良客の下の層。lending=融資。prime=優良に接頭語のsubが付いて「優良の下」すなわち「優良では無い」「低所得者層」となり、返済能力の低い(貸し倒れの可能性が高い)低所得者たちを対象に組まれたローン。
投資会社が別の投資会社のCDOを買う→その投資会社のCDOをさらに別の投資会社が買う、の連鎖
ローン会社Aは、回収の確率の高い優良客のローンと、回収の確率が低い低所得者へのローンをごちゃまぜにパッケージして、MBSを作り、投資会社Bに売る。
投資会社Bは、ローン会社Aの作った怪しげなMBSも含めて、自分の持っている多数の債権をごちゃまぜにしてCDOを作り、それをさらに別の投資会社Cに売る。
投資会社Cは、投資会社のCDOも含めて、自分の持っている多数の債券をごちゃまぜにして、投資会社Dに売る。
以下、繰り返し。
この結果、リスクの低い債券とリスクの高い債券の混ぜ合わせが無限に繰り返され、もはや誰がどの程度のリスクを負っているのかが見えにくくなる(客を煙に巻くために、わざとごちゃまぜにして見えにくくする)
話は、メタ構造になっていた。「第四の壁」を超えて、登場人物が観客に話しかけてくる。
これは、金融に対する専門知識が無い人にストーリーを分かってもらうための苦肉の策のように思えた。
メイン・ストーリーとは関係の無い解説シーンが3回ある。
アメリカでは良く知られているらしい有名人に、メインストーリーとは関係なく金融用語の解説を差せているシーンが3回ある。
- マーゴット・ロビー
- セクシー女優っぽい女性が、泡風呂で「サブプライム・ローン」の解説をしている。このマーゴット・ロビーという人は「ウルフ・オブ・ウォールストリート」にも出演しているらしい。この辺も、メタ的なジョークになっているのだろう。 /dd>
- アンソニー・ボーディン
- 高級レストランのシェフがCDOを「質の悪い売れ残りの魚をこっそり混ぜ込んで新たに煮込んだシチュー」に例える。アンソニー・ボーディンは料理人兼作家兼テレビ番組の司会者らしい。
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- リチャード・セイラーとセレーナ・ゴメス
- 「合成CDO」を「『カジノでどちらのプレイヤーが勝つか』を取り巻き客同士が賭け、その取り巻き客のどちらが勝つかを別の取り巻き客同士が賭け……という連鎖」で例える。リチャード・セイラーは行動経済学者、セレーナ・ゴメスは可愛い系アイドル女優。
これらの解説シーンが唐突に始まる。これも、難しい金融問題を何とかして観客に分かってもらうために苦肉の策だろう。セクシー女優やアイドル女優を起用する所には、おそらく「サブプライム問題の真の被害者」という風に製作者側が感じている「アメリカの低所得階級」に対する啓蒙という意図がある気がする。
どんな権利でも、証券化すれば売り買いできる。売り買いできれば、資本家に売れる。
この映画の一番のキモである「CDS」と言うのは、要するに保険である。
「保険は自分の所有物に掛けるもので、他人の所有物には掛けられない」というのが一般的な感覚だと思う。
しかし、CDSは『金融商品』なので、売り買いできなければいけない。売り買いするためには、所有者の変更が出来なければいけない。つまり「火災保険」そのものを売り買いするために「火災保険の受取人と、保険の対象となる家の所有者」が別々であっても良い事にしなければいけない。
結果、「家の所有者でもない赤の他人が勝手に火災保険をかけられる」という事になる。
証券というのは、要するに「売り買いできる証明書」の事だろう。
普通、誰かから金を借りる時には「私は○○さんから100円を借りました。一年後に○○さんに返します」という証明書を書く。
しかし、「一年後に○○さんに返します」のところを「一年後に、この証明書を持っている人に返します」という風にすれば「証明書の所有者=金を返してもらう権利のある人」という事になって、○○さんは、その証明書を売り買いできる。
大量の金を使って、それらを売り買いして利益を稼ぐ仕事が金融であり資本家という事か。
ブラッド・ピットの「モサいオッサン」演技が良い。
ブラッド・ピットと言えば当代一流のスターな訳だが、それが、本当にモサッとした不愛想な変人に見える。白髪まじりのボーボーの顎鬚も汚らしくてグッドだ。
クリスチャン・ベールの変人投資家演技も良い。
片目が義眼で、どもり癖があり、オシャレなオフィスにTシャツと短パンで出勤してハード・ロックをガンガンにかける「天才だけど変人」投資家の感じが良く出ている。あごの周りの肉が垂れている感じもダサダサで良い感じだ。
冒頭から、いきなり顔が気持ち悪い。バットマンなのに、ヒーローなのに、顔が気持ち悪い。相手の話を全然聞かないで我が道を行く変人っぷりが良く出ている。新入社員の採用面接で足の裏を搔く所とか。
結局、土地バブル崩壊の映画だった。
バブル時代を微かに知っている世代にとっては、日本では三十年近くも色んな所で語られ続けてきた土地バブルの話で、正直、新鮮味が無かった。
ちなみに、映画の中で「転売目的で土地を五つも六つも買ったストリッパー」が出てくるが、ああいう話は、私もバルブ全盛時代の日本で何度か耳にした。
「土地やマンションは永遠に値上がりする。地価が下がることは絶対にない」とか何とか、誰かに吹き込まれてマンションを買い、マンションが値上がりしたら売って、それを資金にさらに高いマンションを買う、なんてことを投資家でも金融関係者でも何でもない一般のサラリーマンが繰り返していた。
要するに、素人がバブルに踊らされていた。
ウォール街のエリートから、地方の不動産やまで、とにかく金融関係者は徹底的に「不誠実で薄っぺらい俗物ども」として描かれてた。
そういう不誠実な俗物どもが一番悪いのは事実だが、では「住みもしない家を五つも六つも買ったストリッパー」のリテラシーというか、「悪党どもの餌食にならないための防衛能力」は、どうやって向上させればいいのか。
残念ながら、世の中から不誠実が無くなることも、薄っぺらい俗物が居なくなることもないだろう。再び状況が巡って来れば、奴らは必ず再び動き出す。
その時に備えて、再び騙されないようにストリッパーは何をすれば良いのか? 「全てのストリッパーは悪徳業者に騙されないように、大学の経済学の社会人講座で単位を取得する事」という法律でも作るか?
「全ての人が高い知性を持つ社会、全ての人がそうなるべく努力する社会」が良い社会なのか。
「全ての人が知性が低くても楽に生きられる社会」が良い社会なのか。
エンターテイメントとしての造りの良さよりも、悪をあばくという社会正義を優先させた映画。
制作会社の「プランB」というのは、ブラッド・ピット自身がオーナーの映画会社で、ちょっと変わった映画を連発している。
今回は、エンターテイメントとしての体裁をある程度犠牲にしてでも、金融世界の巨悪を許さないという姿勢が目立つ映画だった。それだけ、思いが強かったのだろうか。
製作者は、素人でも分かりやすく物語の前提となる設定を説明しようと、手を変え品を変え、大変に苦労したと思う。
しかし、残念ながら、それが完全に成功しているとは言えなかった。
映画こそ、資本主義の権化とも言うべき生産物ではないか。
ハリウッド映画では、時々「アメリカ資本主義批判」映画が作られる。
しかし、私は思う。「何百億円もかけて制作し、当たれば大儲け、外せば大損のハリウッド大作映画」こそが、この世で一番資本主義的なプロダクトではないか、と。
私は、世界で最も映画製作の盛んな国が、同時に世界で最も資本主義的な国=アメリカであるのは偶然ではないとおもう。
資本主義批判な映画が作られる度に「でも監督さん、その映画を作るために莫大な金を資本家に出してもらったんでしょ?」と、ちょっと意地悪な気持ちになることがある。
まあ「悪の力で、正義を成す」的な、ダークヒーローな正義の存在は否定しきれないし、「『資本主義の全否定』ではなくて、『行き過ぎた』資本主義を修正してバランスを取り戻しましょう」という事なのかも知れないが。
「悪の力と正義の心」の葛藤と言えば、「『バブルがはじける=低学歴低所得者層も含めて、多くの人が不幸になる』ことを利用して主人公たちが大儲けする」というこの物語自身が、終わってみればそういう話だった。
字幕の外国語映画で、BGMに母国語の歌が流れると、脳の言語機能が混乱する。
最後に、映画の本筋とは関係ないが、BGMについて気になったことがある。
私はこの映画を字幕版で観た。
映画のワンシーンで、主人公たちが日本料理屋で会話をするところがある。もちろん彼らは英語を話し、視聴者である私はそれを字幕で追っていた。
そこで、いきなりBGMに日本の歌が流れ出した。設定としては、アメリカの日本料理屋で日本のポップスが流れるという事で、それ自体は、何の不自然さも無いのだが。
私の脳の言語能力が、混乱してしまった。
- アメリカ人の俳優がしゃべる英語の声
- それを翻訳した字幕
- BGMとして流れる日本語の歌の歌詞
この三つを私は無意識に同時処理しようとして、相当の負荷を脳の言語中枢にかけてしまった。
日本のアニメでも、時々、日本語のセリフにかぶるようにして英語や他の外国語(例えばドイツ語)が流れることがある。
日本人の視聴者なら、それで良い。外国語の歌は言語的な意味の無い「音」として処理されるから。
しかし、そのアニメを字幕で見ているアメリカ人やドイツ人は、どうだろうか?
きっと混乱してアニメに集中できないに違いない。
日本の少子高齢化が進む中、ほかの多くの内需産業と同様に、アニメ業界も海外に活路を見出さざるを得ない、そうしなければ、業界に居る人の経済的基盤を支えられなくなる日がいずれ来ると思う。
その時に備えて、BGMに英語をつかうのは控えた方が良いと思う。