ウェブ投稿サービスについて思う事。直近9エントリーをひとつにしてみた。
直近の9エントリーをひとつにまとめてみた。
SNSもブログもメッセージ・アプリも、結局、情報の最小単位は「投稿」である。
SNSもブログもメッセージ・アプリも、結局、情報の最小単位は「投稿」である。
- メッセージ・アプリなら相手に送る「メッセージ」
- ブログなら「記事」
- ツイッターなら「ツイート」
これらは、例えれば、生物にとっての「細胞」であり、物質に例えれば「原子」ということになるだろうか。
この最小単位である「投稿」が寄り集まって、タイムラインなりフィードなり「今月の記事」が出来上がっている。
それを、どういう構成で、誰に見せるのかという違いで、それぞれのサービスの特色が出る。
ツイッターがSNSとして扱われるのは、投稿にタイトルがないからかもしれない。
ブログには、普通、個々の記事にタイトルがある。
ツイッターの個々のツイートにはタイトルが無い。
フェイスブックなどの一般的なSNSも個々の投稿にはタイトルが無い。
個々の投稿にタイトルが無いと、「ブログに文章を投稿している」という感覚が薄れて「ちょっとした近況報告」のような感じになって、SNSっぽい感覚を読者に与えるのではないだろうか。
ブログもSNSもメールもメッセージアプリも掲示板も小説投稿サイトも「文章投稿アプリ」だ。
最近は、文章よりも、インスタグラムみたいな画像専用SNSなんかの方が勢いがあるが、文章にせよ画像にせよ動画にせよ、自分が観たり聞いたり考えたりしたことを記事として投稿(=インターネットにアップロード)して、それが集積されて受け手のスクリーンに表示される事には変わりない。
乱暴に言えば、違うのは表示の仕方だけ。
ブログは「ストック型」で、ツイッターは「フロー型」
ブログは、投稿した記事が、分類されて保存され、1年後、2年後に読み直す事を前提にしている。
ツイッターやSNSのフィードは、時間が経つと記事がどんどん流れていって、むかし書いた記事を読み直すようには出来ていない。(可能ではあるが、それを目的としたインターフェースではない)作者の興味も、読者の興味も、「……なう」に象徴される「近況報告」「最近、思った事」だけに集中している。
記事にタイトルがあるのはストック型。タイトルが無いのは「フロー型」
ブログの記事にタイトルがあるのはストック型メディアだから。ツイッターやSNSの投稿にタイトルが無いのは「フロー型メディア」だから。
つまり、ブログは後々参照しやすいように記事タイトルを要求し、ツイッターやSNSは「今、読まれる事」だけにフォーカスしているので、記事タイトルは不要と考えている。
人間の脳には「短期記憶領域」と「長期記憶領域」があるらしい。
- 毎日毎日、毎時間毎時間、頭に浮かんで来る「思いの断片」のようなもの(その多くは、その瞬間には意味があっても、時間が経てば価値が無くなる事)
- 長い時間かけて熟成させ、構築し、記憶するべきもの
脳内には、この2種類があるという事だ。
なぜ、2種類あるかというと、人間にとってどちらも大切だからだ。
ウェブサービスにおいては、短期記憶に当たるのがSNSやツイッターの投稿で、長期記憶に当たるのがブログという事になるだろう。
それぞれに最適化されたインターフェースと、統一されたインターフェース。
ユーザーには、それぞれのアプリケーションに最適化されたインターフェースを使いたいという欲求と、統一されたインターフェースで全てのアプリケーションを使いたいという欲求がある。
ワープロと表計算ソフトは、それぞれの使用目的に特化した別々のインターフェースを備える。
一方、ファイル操作メニューの位置、編集操作メニューの位置、終了ボタンの位置などは、ワープロも表計算も同じ場所にあって、ユーザーが統一感を持って使えるようになっている。
フロー型の記事と、ストック型の記事を同じインターフェースで使えれば最高だ。
人間には、日々思ったことをつらつらとツイッターに書くような「フロー型記事」も必要だし、じっくりと構成を練って数年後に読んでもちゃんと意味が通る「ストック型記事」も必要だ。
その両方を同じインターフェースで使えれば最高だ。
シンプルノートというウェブサービスでは、内容の最初の1行がそのままタイトルになる。
エバーノートが重厚長大であるのに対し、シンプルノートは文章をメモする事だけに特化している。
名前の通りシンプルであることを売りにしているのだが、感心したのは、記事内容の最初の1行がそのままタイトルとして使われるという発想だ。
これなら、いちいち別のテキスト領域をクリックして改めて記事タイトルを入力する必要が無い。
こういうインターフェースを一般的なブログでも実装できないだろうか。
例えば、投稿ボタンを押した時点で、記事タイトルが空白の場合のみ、記事の最初の1行、あるいは冒頭の20文字がタイトルとして使われるという仕様にすれば、後方互換性も保たれるはずだ。
こういう仕様なら、ツイッターに投稿するような未整理の短期思考も、長期保存を前提に構成された長文も同じレベルで扱うことが出来る。(同じタイムラインに乗せることが出来る)