気が付いたらインターネット生態系の領域は現実世界でも無視できない大きさになっていた。
日本でインターネット元年と言われたのがウィンドウズ95が発売された1995年。
いまからちょうど二十年前の事だ。
「これからはインターネットの時代だ」と当時から言われていた訳だが、すぐに日本人のほとんどがインターネットの情報に接触していたかというと、当時は、まだ一部の好事家や、最先端通を自任している人たちだけのオモチャだったように思う。
それからNTTドコモが携帯電話にiモードを搭載して、次第に、ごく普通の人々が電子メールで連絡を取り合うようになった。
仕事でも徐々に職場のパソコンがインターネットに接続するようになり、電子メールは仕事、プライベートどちらでも重要な連絡手段になっていった。
それでも2000年代前半までは「仕事で電子メールを使ったり、あとは時々、友人とのやりとりをするくらい」という「ネットに対して興味の薄い人」が多数派だったように思う。
やはり、決定的だったのは2007年のアイフォンの発売か。
とにかく電車に乗ったら乗客全員、まずインターネットに接続する……という時代になった。
ある者はソーシャルゲーム、ある者はキンドル・アプリで読書、ある者はブログやSNSのチェック。
以上のような状況を、私が実感したのは、ごく最近の事だ。
「小説家になろう」に小説を投稿しようと思い立ち、サイトのマニュアル
http://syosetu.com/man/senden/
に、ツイッターで自作の小説を宣伝しよう、ブログで宣伝しようと書いてあった事からツイッターとブログを始めた。
それで、初めてブログとは何か、SNSとは何かという事を考え始めて「エキサイト・ブログ」から「はてなブログ」に引っ越したのを機に、ちょっとブログの方にも力を入れてみようかと思い、いろいろ人気のあるブログを検索したり、フェイスブックやインスタグラムなどのSNSに興味を持ったりしてみた。
それで実感した。
「すでにインターネットは量的にも、多様さという点でも、もはや『現実の一部』……それもかなりの部分を占めるくらいの、一つの生態系になっていた」
そう思ったら、ますます興味が出てきてしまった。
ひとつ言えることは、呑気に「インターネットに書かれている大多数の情報には意味が無い」とか「SNSに投稿されている大多数の情報には意味が無い」などと言う時代も過ぎたな、という事だ。
昔のSF作家の名言ではないが、あるジャンルを構成する要素の大多数がそれほど高品質ではないという状態は、何もインターネットに限った事ではないだろう。ネットも含め現実というのは基本そんなものなのかもしれない。
そういう現実を踏まえて、じゃあ、どうする、という時期に来ていると思う。