放浪剣士ゾル・ギフィウスと仮面の妖魔

2-3.喫茶室

 ルッグは一階の廊下の真ん中よりやや奥にある扉を開け、ストーブ、ソファ、喫茶テーブル、本棚のある小ぢんまりとした部屋に入った。
 かつてこの家の主人が、家族や来客たちと食後のハーブ茶を飲み、庭をながめ、会話を楽しんでいた部屋だ。
 庭に面した壁は、窓のめる割合が大きかった。ほとんど一面ガラス張りと言っても良いくらいだ。
 美しい庭を……存分に楽しむためだ。

 奇跡的に、二十年のあいだに割れた窓ガラスは一枚も無かったが、長い間手入れをされなかったそれらはひどく汚れていた。
 雨だれで曇りガラスのようになってしまった窓には、庭に生えた木々の薄らボンヤリとしたかげ以外、何も映っていなかった。
 どのみち手入れをする者も無く長年放置された庭を見たところで、今は茶色く枯れた葉にっすらと雪をせた雑草が群れているだけだ。

(大丈夫だ。自分以外に誰かが侵入した形跡は無い……荒らされている様子は無い)
 そんなことを思いながら、ルッグは鉄製の黒いストーブまで歩いて行き、ふたを開けて内部に問題の無いことを確認し、いったん裏口に停めた荷馬車に戻って薪の束を抱えて来て、ストーブの横に置いた。

 束の中から適量を取ってストーブの中で組み合わせ、火を着ける。
 熱が部屋全体に回るまでのあいだに、馬車まで何度か往復して、毛布、携帯食料、酒、その他、今夜の『宿泊』に必要なものを運び込んだ。
 そして、もちろん、護身用のクロスボウ
が来たら、こんなもの何の役にも立たねぇだろうが……まあ、御守おまもりみてぇなものか……)
 水とハーブの葉を入れた薬缶やかんをストーブの上に置き、その前に椅子を置いて座った。
 部屋が暖まって、ほっと一息ついたところで、乾燥肉とかたパンをつまみにワインを胃へ流し込んだ。
 ワインの瓶に口をつけながらチラリと窓を見る。
 汚く曇ってしまった窓ガラスに向かっていくら目をらしてみても、外の様子など分らない。
 しかし、それでも、窓から部屋に入って来る光の量で、夜が近い事だけは確認できた。
(春になったら窓拭まどふきをせにゃならん……これじゃ、霧なんだかガラスの汚れなんだか分かりゃしない)
 外側に雨だれがベッタリと付いた窓ガラスを見ながら、ルッグは思った。
(それと、時間があれば、庭の雑草刈りだ)

 二十年ぶんのほこりが積もった建物の他の場所と違い、この部屋には……この部屋には、埃も無く、ソファその他の家具調度品も小綺麗こぎれいだった。
 ルッグが定期的に必要最小限の掃除をしているからだ。

 部屋が充分に暖まり、腹が満たされ、アルコールが入ったとなれば、次にやってくるのは眠気だ。
(煮出したハーブ茶は眠りから目覚めたときに飲めば良いさ)
 ルッグはストーブから薬缶やかんを下ろし喫茶テーブルの上に置いて、毛布を自分の体に巻きつけるとソファーの上にゴロンと横になった。
 もう一度、窓の外を見た。
 世界に完全な闇が訪れるには、まだもう少しだけ時間があるようだった。
(夜の来ないうちから酒をくらって寝る……上等じゃないか……どうせこの廃墟まちじゃ、日が暮れて以降に出来る事なんて……夜にすべき事なんて一つも無いんだから、な)
 そんな事を考えながら、行商人は眠りに落ちた。