少年とBLCFV28号

旅する少年[#1]

 二百年続いた世界戦争は、はっきりした終戦の区切りも無く何時いつの間にか終わっていた。
 勝った国も、負けた国も無かった。全ての国家が組織としてのていを維持できないほど疲弊ひへいし崩壊、消滅したからだ。
 地上には大量の瓦礫がれきと、大量の壊れた兵器と、運良く生き延びた少数の人間と、運よく壊れなかった少数の兵器だけが残された。

 * * *

 砕けたコンクリートとびついた兵器と千切ちぎれた複合装甲の欠片かけらで埋め尽くされた大地が、地平線の向こうまで続いていた。
 夜が明け日が昇り、かつて兵器工場、商業施設、集合住宅だった巨大建造物の成れの果てを、春の優しい日差しがゆっくりと暖めていった。
 少しだけ湿しめった風が、ひしゃげたレイルガンの銃身を抜けてボーゥと間抜けな音を鳴らし、瓦礫と瓦礫のあいだにまったわずかな砂に根を張った草が、風を受けて白い小さな花を揺らした。
 その葉と葉の間を、黄色いうろこに真っ赤な斑点はんてんを散らしたトカゲが一匹、そろり、そろりとっていく。
 突然、先端を尖らせた金属の棒がトカゲの首に突き刺さり、吹き溜まりの砂にその体をい付けた。
 トカゲはクネクネと激しく打ち、何とか逃げようと藻掻もがくが、案外深く突き刺さった金属棒はビクリとも動かない。
 トカゲから十メートルほど離れた場所、高さ二メートル半ほど瓦礫を積んだ小山のかげから人影が立ち上がった。
 人影は一秒か二秒、瓦礫の山の頂上から仕留めた獲物をじっと見下ろしたあと、構えていた超電導アクチュエーター式空気銃を肩に担ぎ、ゆるい斜面を駆け下りた。
 ごつごつとした表面に足を取られることも無く素早く器用に走るその姿から、彼が優れたバランス感覚と強靭かつなバネの持ち主であることが分かる。
 身長は平均的な成人男子より少しだけ高い。しかし、機械化歩兵用の軽装甲服に包まれた体は、完成された成人のものというには少々細身で未発達のように見えた。
 前面シールドを開けたヘルメットからのぞくのは、十代半ばの少年の顔。十五歳か、十六か、七か……十八歳までは行っていないだろう。
 強い意志を表す眉。
 獲物を真っ直ぐに見つめる澄んだ黒い瞳。
 しっかりと結ばれた薄い唇。
 少年はトカゲに近づき、装甲服に装着されたさやからセラミック刃のサバイバル・ナイフを抜くと、急所を一突きして息の根をめ、空気銃が発射した長さ二十センチの鉄串をトカゲの体から引き抜いた。
「やったぜ。28ニッパチ
 少年が、顎の下に貼り付けた骨伝導小型マイクに語りかける。
「キイロトカゲを仕留めた。今日の朝飯はだ」
 同じく耳の後ろに貼り付けた骨伝導イヤフォンに「ハイ。戦車長」という声が返ってきた。
 低い男性的な機械合成音で無感情に発せられたその言葉に特別な意味は無かった。
 戦闘や索敵、情報収集に関する問いかけ以外は全て無意味と認識するようプログラムされた統合制御ユニットが、あらかじめ設定された「ハイ。戦車長」という『無意味な呼びかけのための無意味な返答』を発信しているだけだ。
 少年は、それでも良いと思っていた。
 両親が亡くなって一年。たった一人で旅を続けている。
 この一年、人間と出会った回数は両手の指で足りる。
 たとえそれがプログラムされた決まり文句だったとしても、とりあえず会話のようなものが成立すれば多少でも孤独はなぐさめられる。
 皮をぐのは後にして、少年は、とりあえずトカゲの尻尾をつかんで逆さまに持ち上げ、切った動脈から血を抜いた。

 * * *

 血抜きした獲物を持って少年が向かった先には、ひしゃげ歪んだ鉄骨を肋骨あばらぼねのようにさらした兵器工場の残骸があった。
 その大量の鉄とコンクリートのゴミ山の横に、片膝かたひざをついた巨人の姿が見える。
 単座式二足歩行格闘戦闘車輛BLCFVだ。
 二百年戦争中期、自己増殖型抗膨張性窒素と名付けられた気体が各地の戦場に散布された。
 その名の通り増殖し続けた気体ガスは、わずか一ヶ月で世界の空を不可逆に変質させ、あらゆる種類の爆発物は大気中での膨張を封じられ、燃料燃焼時の膨張エネルギーを動力源にしていた全ての機械が動くことをやめた。
 ロケット・エンジン、ジェット・エンジン、内燃機関、火薬式の武器が使用不可能になった戦場において、最大の戦闘能力を発揮するよう改良された陸戦兵器、それが単座式BLCFVだ。
 高エネルギー安定化アルコール用電解質膜触媒スタック、通称HESAヘサキャタライザーを動力源とし、歩行用の二本の脚と格闘用の二本のマニピュレーターを持ち、圧縮電位塊でんいかい発射装置や攻撃用レーザー発振装置、超電導レイルガンなどの大電力を必要とする遠隔攻撃兵器と、近接格闘戦用の結合力無効化ブレードを搭載する。
 多くの場合、人型兵器は、世界各地に残る古代都市遺跡での運用を考慮して、化石から推定される古代巨人族の身長と同じ高さ……人間のおよそ三倍……になるように設計される。索敵・通信用アンテナ部を除いた頭部センサー・ユニットの高さ(頭頂高)五・五メートルというのが、運用面も考慮したBLCFVの大きさの最適解とされていた。
 トカゲの死体を持った少年の前で片膝をついている暗い灰色の機体は、その最適解より一回り大きい。
 今はひざまづいて半分ほどの高さになっているが、直立時の頭頂高は五・九メートルに達する。
 バックパック・ユニットから黒い板状の装置が四枚、まるで昆虫のはねのように広がっていた。
「ただいま」
 少年が、目の前のBLCFVに呼びかけるように……実際には骨伝導マイクと無線通信装置を通して……言った。
「ハイ。戦車長」
 少年の言葉を『無意味』と判断した人型兵器の統合制御ユニットが、先程と同じ『無意味な返答』を少年のヘルメットに送信した。
 少年は、小さくめ息をいたあと、こんどは自分自身が着ている軽装甲服の制御コンピュータに「頭部装甲解除」と指令を送った。
 ヘルメットが自動的に分割、展開して、少年の背負っている薄型バックパックの上に移動した。
 少年の頭部が完全に露出した状態になる。
 黒髪を揺らす春の風が心地よかった。
 少年は、血抜きしたトカゲの死体を大きめのコンクリート塊の上に置いて、人型兵器の装甲版の所どころにある整備用ステップを使って器用に兵器の背中までよじ登った。
 バックパック・ユニットのデッドスペースに申し訳程度に設けられた荷物室からマルチ・フューエル・ストーヴ(小型携帯式調理用コンロ)と小さな鍋、鉄串、箸、調味料セットを取り出して一旦いったん地面に降り、再び機体をよじ登って今度は胸部ハッチからコックピットに潜り込んで飲料水サーバーからボトルを外して降機し、ストーヴ(携帯コンロ)に点火、ボトルから小鍋に水を注いで火にかけた。
 湯が沸きがるまでに手早くトカゲの腹を裂いて内臓を出し、心臓と肝臓だけは鍋の中に入れて残りを捨て、全身の皮を鱗ごといで、背骨に沿って鉄串を刺した。
 鍋の中の心臓と肝臓が煮えたのを確認して調味料を振り、火から降ろして、替わりに串に刺したトカゲの肉を火にかける。
 自己増殖型抗膨張性窒素によって、あらゆる爆発エネルギーが封じ込められた世界でも、何かを燃やせば、煮炊きする程度の熱量は得られる。
 潤滑油や衝撃緩衝装置の高粘度油、さらには動物の脂肪まで、ありとあらゆる油脂類を燃料として使用可能で、すすも、二酸化炭素以外の有害物質も排出しないマルチ・フューエル・ストーヴは、古戦場を旅する少年にとってセラミック・ナイフの次に大切な生活の道具だった。
 肉が焼けるのを待つ間、トカゲの内臓で出汁だしを取ったスープを鍋から直接すすり、心臓を箸でつまんで食った。
 思わず「うん、うまい」とひとりごちた。
 むたびにジュワッとみ出る肉汁を充分に味わってから鍋のスープをすすって心臓を飲み込んだ。
 続けて肝臓を箸で持ち上げ、かじる。
 もう一度、「うまい……」
 肝臓は、心臓よりも二回りほど大きい。一口で食べきるのは無理だ。
「はふっ、はふっ」と息を吹きかけ冷ましながら、煮た肝臓をかじり、んで飲み込み、またかじり、んで飲み込む。
 そして、スープをすする。
 内臓のスープを平らげた頃に、ちょうど都合よく肉が焼きあがった。
 こちらにも調味料を振って、かぶりついた。
 今度は言葉こそ発しなかったが、湧き上がる喜びの感情に思わず顔がほころんだ。
 旨いものを食う。
 腹の底から、喜びが湧き上がる。
 味気ない栄養ブロックを飲料水で流し込んでも生命維持は可能だが、それで得られる感覚は、せいぜい空腹感が減退する、という程度でしかない。今、少年が感じているような「湧き上がる喜び」は無い。
 遅い朝食を終え、人型兵器のすねの装甲にあるハッチを開け、中からホースを引き出し、洗浄液で食器類を洗った。
 最後に飲料水で軽く食器をすすいで、もうずいぶん高くなった天日で乾燥させ、兵器のバックパック・ユニットに収めた。
28ニッパチ、燃料の充填具合はどうだ?」
 地面に降り立ち、骨伝導マイクに語りかける。
「8・10戦闘機動時間分、充填サレマシタ」
 HESAヘサ(高エネルギー安定化アルコール)を最も消費する戦闘機動を八時間連続で行えるという意味だ。
「良し。そろそろ出発するか。集光発電パネル収納。立ち上がって低速歩行モードで俺に続け」
「了解」
 二足歩行格闘戦闘車輛BLCFV……人型の単座式陸戦兵器が、ゆっくりと立ち上がった。背中から生えた四枚の黒いはね……集光発電パネルが波型に折りたたまれていく。
 高さ五・九メートルの機械じかけの巨人が完全に直立したのを確認して、少年は背中を向け、コンクリートの破片を踏みしめて歩き出した。
 静音モードで少年の後を追う人型兵器の「ズンッ、ズンッ」という低い足音が背中から聞こえてくる。
 歩きながら、少年は軽装甲服の制御コンピュータを呼び出し、周囲の環境情報を簡単に報告させた。
「気温16度。湿度64%。南西方向へ時速4・1KMで移動中。現在時刻、標準歴3017-5-4T10:03:22、23、24……」
 空中投影された文字情報に目を通し、現在時刻を見て、ふと思い出した。
「……ああ、今日は俺の生まれた日か……」
 少年のひとり言に反応して、軽装甲服のコンピュータが表示を切り替えた。
「装着者:アキツカ・レイジロウ。性別:男。生年月日:3001-5-4。16歳」
「今日で、俺は十六歳になった訳か」
 少年……アキツカ・レイジロウ……の声に、今度はBLCFVの統合制御ユニットが反応して、あらかじめプログラムされた音声を骨伝導イヤフォンに送ってきた。
「御誕生日、オメデトウゴザイマス。戦車長」
 戦うために創造つくられたBLCFVの統合制御ユニットにとって、その言葉には何の意味も無かった。