リビングデッド、リビング・リビング・リビング

夜。(その1)

 背もたれを倒せない後部座席、しかも三人がけの真ん中というのは、決して眠りやすい環境とは言えない。
 突然、見知らぬ男子大学生が一晩ハイブリッド・カーで寝泊まりする事になって、隼人は助手席を追い出され後部座席に移ることになった。
 沖船おきふね由沙美ゆさみは長々と文句をれたが、隼人は大学生に感謝したい位だった。
 右隣は女子高生のお姉さん。左隣は学校は違うものの同じ学年の女の子。(しかも、なかなかの美少女)
 寝たふりをして、さりげなく右側に顔を向ける。
 女子高生のお姉さんの香りがフワッと立ち昇って、思春期突入直前の隼人少年の鼻を刺激した。
 お姉さんの香りに飽きたら、今度は寝返りを打つふりをして、同い年の妹の方に顔を向ける。
 こっちはこっちで、お姉さんとはまた違った良い香りだった。
 うっすらと目を開けると、薄暗い月明かりに照らされた美少女の寝顔が目の前にあった。いつまでも間近でながめて居たくなるような可愛い寝顔だった。
「ううん……」
 寝息か寝言か分からない声を上げて、妹の方が隼人の体に掛かってきた。一瞬迷ったが、良い機会だから隼人も姉の方へ掛かる事にした。何か言われたら「妹さんがこっちに掛かって来たものだから、自然と僕も……」と誤魔化ごまかせば良いと姑息に考えた。
 女子高生の姉と小学六年生の妹、姉妹両方の体温と体の柔らかみを両腕に感じて、両方のブレンドされた香りを吸い込んで、天国のような気分だった。
(女の子の体の温かみと柔らかさを感じながら、女の子の香りをかいで、女の子の寝顔をながめて寝るのって、なんて楽しいんだろう)
 そんな風に思いながら、美少女の寝顔をじっと見ていたら、だんだん目蓋まぶたが重くなって、いつのまにか本当の眠りについていた。

 * * *

 尿意をもよおして、目が覚めた。
 沖船姉妹の妹、沖船奈津美なつみは、もう隼人の肩に掛かっては居なかった。向こう側のドアに体重を預けている。
 反対側を見ると、姉の由沙美の姿が無かった。
 叔父の肩を叩く。運転席の風田かぜた孝一こういちが薄目を開けて隼人を見た。
「トイレに行ってくる」
「ああ。気をつけてな」
 言いながら、叔父がロックを解除する。
「あの、沖船さんのお姉さんは?」
 小さな声で風太にたずねた。
「さっき、車外に出て行った。自己中ギャルめ、あれほど言ったのに、俺に何にも言わないで勝手に出て行きやがった。猫に噛まれて死ねよ。馬鹿女」
 叔父がボソリと汚い言葉を吐いた。それを無視して「じゃあ、行ってくる」と言ってクルマの外に出た。運転席の風田がドアをロックする音が聞こえた。
 公衆トイレに向かう。
 キャンプ場の方を見ると、あずま屋に髭面ひげづらの男が座っていた。隼人たちが来る前からキャンプ場に居た、アメリカン・バイクのライダーだ。
 あずま屋に座って一人ひとりでタバコを吸っていた。
 何だか様子ようすが変だった。目つきがうつろで上体がゆらゆら揺れている。
(た、大変だ! 噛まれたんだ!)
 風田たちに知らせようと、あわててクルマの方へ引き返そうとする隼人の肩を誰かがグッとつかんだ。
 振り返ると沖船姉妹の姉、由沙美だった。
「勘違いしないで」
 由沙美が言った。
「あの人は『噛まれた』訳じゃないよ」
「で、でも……」
 由沙美はおくする様子もなく、あずま屋の方へどんどん歩いて行く。髭面の男と二言三言話して、男の隣に座ってしまった。
 たしかに「噛みつかれた」わけでは無さそうだ。
(単に酔っ払っていただけ……だったのかな?)
 首をかしげながらも、隼人は尿意を我慢できなくなり、小走りに男子便所に向かった。
用を足して便所から出てくると、あずま屋では由沙美と髭面のライダーが、まだ楽しそうに会話をしていた。
 由沙美は知らない男と一本のタバコを回しみしていた。
(未成年なのにタバコ吸ってる)
 男が由沙美の耳元で何かをささやき、二人は立ち上がって男のテントの方へ歩いて行った。男は由沙美の腰に手を回し、由沙美は男に体を預けるようにして二人並んで歩いて行く。
 あずま屋を出るとき、タバコが男の口からコンクリートのゆかこぼれ落ちた。男は火の点いたタバコを踏み消そうともせず、そのまま由沙美とテントの方へ行ってしまった。
(危ないなぁ)
 テントの中に入る二人を見ながら、隼人は思った。
(山火事にでもなったら、どうするんだ。それに由沙美さん、勝手に男のテントに入ったりして……ひとこと叔父さんに言わないと心配するだろう!)

 * * *

 尿意で目が覚めた。
 大剛原はSUVの運転席から抜け出し、外側から鍵をかけ、便所へ向かった。
 途中、少年に会った。
(風田の甥とか言っていたな。確か名前は……速芝はやしば隼人はやと……だったか)
 キャンプ場に一張だけのテントをにらんでいる。
 声を掛けた。
「こんな真夜中に、こんな所で、一体何をやっているんだ?」
「ああ、おまわりさん」
 少年……隼人が振り返る。
沖船おきふねのお姉さんが、あの髭男ひげおとこのテントに入っちゃったんです」
「沖船? ああ、あの女子高生か」
 県立高校の制服を着た少女の顔を思い浮かべる。
 反抗的な……それでいて救いをもとめているような、切羽詰せっぱつまった眼差まなざし。
「まさか、無理やり連れ込まれたのか?」
「え? あ、いいえ。そうじゃありません。タバコを回しみなんかして、仲良さそうにしてました」
「タバコ? 女子高生がタバコを吸っていたのか?」
 隼人が「しまった、言い過ぎた」という顔をした。
 大剛原はニヤリと笑った。
「いいさ。タバコの件は聞かなかった事にしておくよ。君が喋ったという事がバレるとまずいんだろ?」
「す、すいません」
「それにしても、そのひげのライダーとやら……未成年をテントに連れ込むとは、合意の上だったとしても見過ごせんな」
 あずま屋のコンクリートゆかの上に小さな赤い光が見えた。
「なんだ、吸い殻の火を消してないのか」
「そうなんです。危ないですよ。全く……」
「ちょっと消しておいてくれるか。小便が……限界だ」
 そう言って、急いで男子便所に駆け込んだ。
 便所から出てくると、隼人少年が周囲を見回している。何か探し物でもしているのか。
「どうしたんだい?」
 大剛原がたずねる。
「タバコの吸い殻を入れるゴミ箱が無いかなぁ、と思って……」
 なるほど少年は、何か汚い物でもつままむようにして右手にタバコの吸い殻を持っていた。タバコの火は消えていた。
(何だ?)
 吸い殻の形が気になった。
「隼人くん、その吸い殻をちょっと見せてくれないか」
 少年から受け取って、便所の光にかざして注意深く見た。巻き方が雑だ。明らかに手巻きだった。
 においをかいでみる。
(やはり、な)
 大剛原は少年に「あとは自分に任せてクルマに戻れ」と指示して、右手に拳銃、左手に懐中電灯を持って、ゆっくりとテントに向かった。
 テントの中には人間の気配があった。何やらごそごそやっている。
 入口のファスナーを開け、懐中電灯の光を当て、大声で叫んだ。
「警察だ! 動くな!」
 全裸の男がこちらに尻を向けて少女の上に覆いかぶさっていた。
 大剛原の声に男が振り返り、懐中電灯の光を受けてまぶしそうに目を細める。
「この拳銃が見えるな? 今すぐ表へ出ろ!」
 もたもたしている鬚の男のひじを持ち、全裸のまま強引にテントの外へ放り出した。
 男の体の下から少女が現れる。身に付けているのはブラジャーとパンティーだけだ。ホックが外れて落ちそうになるブラジャーを両手で押さえている。
 制服の上着とスカートがくしゃくしゃになってテントの隅に投げられていた。
 テントの中には怪しい煙が充満している。
 少女の腕を取り、ブラジャーとパンティー姿のまま、先ほどの男と同じように強引にテントの外へ放り出した。
 土足のままテントの中に入り、懐中電灯を口にくわえ銃を一旦いったんホルスターに戻し、少女の制服をまとめて両手に持って、テントの外に出た。
 制服を少女の胸に押し付けて「さっさと服を着るんだ!」と怒鳴りつけ、再び拳銃を持って全裸の男が座り込んでる場所へ行く。
 黙って男に銃口を突きつけ、懐中電灯の光を浴びせた。
「ご、合意の上だ!」
 男が叫んだ。股間のモノが恐怖で縮こまっていくのが見えた。
「きょ、強要しちゃいねぇ。ち、力ずくじゃねぇ。合意したんだ」
「本当か?」
「ほ、本当だ、だ」
 ろれつが怪しくなっていた。
「クスリを使って判断力を奪っただろう」
「ち、違う。あ、あいつからり寄って来たんだ。あずま屋で一服していたら『クスリを分けてくれたら、一発も良い』って……」
「持っているクスリを全て出せ」
 大剛原は男の額に銃口を付けた。
「今すぐ、だ」
「わ、わかった、わかったよ」
 髭面ひげづらの男がテントの中に入り、くしゃくしゃになったレジ袋を持って出てきた。
「開けて見せろ」
 中には枯れた雑草のようなものが入った小袋がいくつも入っていた。
「鍋を持っているな?」
「え?」
「キャンプをしているなら携帯用の鍋を持っているだろう」
「ああ……」
「持って来い」
 再びテントの中へ。鍋を持って出て来る。
「袋を破いて中身を鍋の中に出せ。小袋一つ残らず。全部だ」
 男は言われた通りビニールの小袋を一つ一つ破いて中の枯れ草を鍋の中に入れた。ノロノロとした動作だった。
「オイル・ライターは持っているか?」
「……ああ」
「なら、燃料のオイルも持っているな。ライターと一緒に持って来い」
 男に拒否権は無かった。
「オイルを鍋のクスリにかけろ」
「勘弁してくれ」
「早く」
 拳銃の銃口を揺らす。
 男は震える手で鍋の中身に燃料をかけた。
「火をつけろ」
「い、いやだ……」
 に銃口を付ける。男の顔に脂汗が噴き出た。ライターに火をつけて、鍋のふちに持って行った。
 ボッと音がして、枯草が一気に燃え上がった。
 男が呆然とした様子で炎を見つめる。彼にとってはだったのだろう。その全てが灰になろうとしている。
 大剛原は煙を浴びないよう風上を歩いて駐車場へ向かった。
 風田が立っていた。
「なんだ、遠くから見物していたのか……」
「ええ。大体、見せてもらいました」
「あの女子高生……由沙美とかいう少女は?」
「女子トイレに駆け込んだきり出てきません。今、妹が説得しています」
「……そうか。これから、ずっと、あの姉妹の面倒を見るつもりなのか?」
「まあ、しばらくは……成り行き次第ですけど」
「彼女、ひょっとしたら常習者かも知れん。に悩まされるぞ」