私立骸ノ森学園の事件簿

第一話、その六。

 巨大ヤゴは必死に回るが、触手の粘着力は凄まじかった。どう足掻あがいてもピンク色の触手から逃れることが出来ない。
 げこっ……げこっ……げこっ……
 トンネル内から捕食者の鳴き声が聞こえる。声が少しずつ出口に近づいてくる。
 暗闇から月光の下へ、その生き物の顔が現れた。
 頭の上に飛びだした感情の無い目玉。粘膜で覆われた緑色の皮膚。横に広がった口。背中に盛り上がる無数の……巨大な「ガマガエル」だった。
 ピンク色の触手と思われたのは、大きな口から伸びた「した」だった。
 舌が徐々に口の中へ巻き取られ、巨大ヤゴが、ずるり、ずるりと巨大カエルの方へ引っ張られて行く。
 蛙の全身がトンネルの外に現れた。
 体長十メートル。潰れた団子のような太い体の両脇から、吸盤付きの不格好な手足が生えていた。
 突然、蛙の口が大きく開き、唾液に濡れた口の中へ巨大ヤゴが放り込まれる。
 次の瞬間、蛙の口が閉じた。
 後半身を喰われ前半身だけを口の外に出したヤゴが、助かろうとして必死に藻掻もがく。
 先ほどまで人間を捕食していた化け物が今度は別の化け物に捕食されている。
 巨大蛙の口の中で「ぐわしゃっ」という外骨格の砕ける音がした。ヤゴが体を激しくる。蛙の口の間から、むらさき色のヤゴの体液がれ出た。
 巨大なガマ蛙は、最後にもう一度大きく口をバクッと開け閉めして、口の外で藻掻もがいていた巨大ヤゴの前半身を飲み込んだ。蛙の口の端から、ヤゴの前足が爪楊枝つまようじのように飛び出てピクピク動いていた。
 一匹目のを平らげ、巨大ガマの片目がギョロリと動いて剣太郎を見た。次の獲物を決めたらしかった。
 少年が横に走る。
 ガマの口からピンク色の触手のような舌が伸びて、先ほどまで少年の立っていた地面に当たった。
 狙いを外したとみるや、すぐにガマが舌を引き戻す。舌の粘液に付着した土や砂利ごと一旦いったん口の中に入れ、すぐにベッと石ころだけを吐き出した。
 女を背負って逃げたタクシー運転手から巨大蛙の気をらすため、逃げた方向とは逆の方に走る。
 それを追うように、ガマは、舌を打ち出したり引っ込めたりするが、少年の走る速度が予想以上に速いのか、なかなか当たらない。
 しかし逃げてばかりではらちが明かなかった。広場の反対側まで来たところで一旦いったん走るのをめ、巨大蛙と〈動無の構え〉で正対する。
 ガマ蛙が一瞬、首を傾げるような仕草をする……こいつ、ただの人間とは何かが違うぞ……とでも言うように。
 ガマのぶよぶよとした体が、一回、ブルンと震えた。
 次の瞬間、背中にある無数のが一斉に収縮した。
 ぷちゅ、ぷちゅ、と何かがぜる湿った音がして、の一つ一つからドロリとした液体があふれ出て、ガマ蛙の背中から全身を濡らす。
 このねばっこい液体こそ、明塚式格闘術〈重力特異弾〉の使い手、明塚剣太郎にとって、巨大ガマ蛙が厄介な相手である理由だ。
 れれば皮膚はただれ、肉は溶け、一滴でも目に入れば失明し、口に入れば潰瘍かいようを誘発する猛毒。
 ガマ蛙自身は毒を中和する酵素を体内に持つが、他の生物が攻撃を加えようと少しでもさわれば毒の餌食となってしまう。
 重力特異弾を打ち込むためには、一点でも肉体ボディ肉体ボディの接触が必要。つまり巨大ガマが全身を毒でコーティングしている限り、剣太郎の技は封じられたも同然だった。いわば毒液のバリヤーだ。
 びゅっ!
 ガマ蛙の口からピンク色の下が伸びて剣太郎を襲った。
 サイドステップでける。
 剣太郎の足さばきは、ガマの舌が伸びる速度より確実に早い。しかし攻撃が封じらた状況下で永久に逃げ回るつもりなのか……
 ふたたびピンク色の舌が剣太郎を襲う。
 剣太郎がける。
 巨大ガマの攻撃を剣太郎がける……それだけの単調な攻防が数分間くり返された。
 ガマ蛙の攻撃がピタリとんだ。
 蛙でさえ、このままではらちが明かないと思ったのか……それとも、ちょこまかと動く人間相手に舌が疲れてしまったのかもしれない。
 剣太郎も動きをめ、両足に履いた下駄で雪を踏んでガマの正面に立った。
 足の裏の細胞に精神を集中させる。細胞重力効果が発生し足の裏と下駄が引力によってピッタリと
 さらに足の裏の細胞重力を細かく操作し、金属下駄の内部に仕込まれ外からは見えないメカのスイッチを引き上げた。
 機械的な留め金が外れ、バネの力で着火装置を超小型ハンマーが叩く。
 下駄内部のタンクに蓄えられた推進剤に火が付いた。
 一連の動きは全て金属製の下駄の内部で起きていて、外からは見えない。
 二本ある下駄の歯には、それぞれ二個ずつ小さな噴射口が開いていた。片足に四つ、両足あわせて八つの噴射口から炎が勢いよく噴き出し、反動で剣太郎の体が宙に浮く。
 少年の履く金属下駄にはロケットモーターが内蔵されていた。しかも全ての制御を機械部品で行うように設計されていて、電気回路は一切使われていない。
 剣太郎は足の裏に発生した引力で下駄内部のレバーを微妙に操作し、両足あわせて八つある噴出口の推力を調整しならがらバランスを取る。
 ロケット下駄の力で空を飛んだ剣太郎を、巨大ガマ蛙が前足をって見上げた。
 剣太郎は上空百メートルでホバリングしながら蛙を見下ろす。
 ロケット下駄の欠点は燃料が有限である事。つまり長時間飛び続ける事が出来ない。
(さあ、どうする? ガマ蛙)
 巨大蛙が、その強力な後ろ脚に溜めたエネルギーを一気に開放して、空中へ飛び上がった。
 後ろ脚が地面を蹴る瞬間、ドンッ、という地響きが起きた。
 放物線を描いて上空百メートルの剣太郎に迫る。大きな口を開け、ピンク色の粘着舌を伸ばす。
 剣太郎は下駄の噴射力を調整してスッとけた。
 ロケットの推力を微妙に変える事で自在に動き回れる剣太郎と、空中に飛び上がったまま進路を変える事のできない巨大蛙。
 放物線の頂点で蛙の上昇力が一瞬ゼロになる。剣太郎が狙いを定めて両手に持った金属の棒を敵に投げた。投げる瞬間、着火ボタンを押す。金属棒の内部でロックが外れ、ロケットモーターに火が入った。
 二本の金属棒は、鋭く尖った側を先端にして後方から炎を噴きながらパックリと開いた巨大蛙の口めがけて飛んだ。
 あわてて口を閉じようとするが、伸びた舌を引っ込める速度よりもロケットで加速された金属棒の方が速かった。
 金属棒が喉の奥に吸い込まれる。
 巨大蛙の体が落下。
 高度五十メートルの辺りで起爆装置に引火。蛙の体が一瞬、風船のように膨れ上がり、内部の圧力に耐えきれなくなった皮膚に裂け目が走り、腹の中から爆発した。
 あたりに毒まみれの肉片が飛び散る。
 ロケット下駄を操って毒の肉片をけながら、剣太郎は徐々に高度を下げ、広場に着地した。
 そこら中にバラかれた蛙の体液が森の木々に付着し、毒の作用でみるみる枝が枯れていく。
 剣太郎は広場に置きっぱなしのダッフルバッグを拾い上げて見た。運良く蛙の毒は付いていない。
 ストラップ・ベルトを持ってバッグを肩に担ぎ、巨大蛙と闘った空域とは反対方向に伸びる獣道けものみちを、西脇たちを追って走った。