少女、怪物を見上げ、夜警、身の上を話す。
1、博物館の少女
公使館の地下空間でコスタゴンが巨大な蛇を見上げていた同じ夜。
都市国家サミア公立博物館・東館の大ホールで、同じよう怪物を見上げる少女が居た。
真夜中の大展示場。
天窓から差し込む弱い月の光が、うっすらとホールを照らしている。
その中央に、グリフォンと呼ばれる巨大な怪物の像があった。
大きな
前足に
降り注ぐ青白い月光を受け、金属の体がボンヤリと光る。
その巨大な
なで肩の
切なそうに怪物を見つめる
幼い少女に似合わない
背中へ
「もう少し……」
小さな
「もう少し、待っていて」
天を仰ぎ、翼を広げ、まさに空へ飛び立とうとするその瞬間のまま時間を凍らせてしまった怪物。
その
「私が、かならず、探し出してあげる。あなたの……」
2、衛士テオ・フルス
広大な敷地に巨大な建築物を
昼間は要所要所に警備の剣士が立つこの施設も、夜は常時たった八人の夜警で守る。
北側半分を担当する北
南側半分を担当する南
それぞれの
館内はもちろん、屋外の植木や茂みの中、広い馬繋場も警備対象に含まれるとなれば、北と南で半分ずつ担当しても巡回には一時間を要した。
「フルスさん、第一班が帰ってきましたよ」
南
「さて……」
読みかけの本をテーブルに置いて椅子から立ち上がり、肩を回しながら首をごきごきと鳴らした。
「それでは行きますか」
壁に下げた蝋燭ランタンを取ってテーブルに置き、
相棒の若い剣士……ライムント・グリュンブラット……が、自分のランタンに火を入れながら興味深そうにテーブルの本を見た。
「フルスさんって、読書家ですよね」
表紙の文字を読む。
「何々……『古代イタリアーナ、その歴史と芸術』……へえ、ずいぶん難しそうな本じゃないですか」
「別にインテリ
若い剣士……ライムント・グリュンブラットが苦笑する。
先輩剣士が続ける。
「
言っている間に、第一班の剣士たちが帰って来た。
「ごくろうさん」
フルスが声を
「残業中の学芸員さんは、まだ帰らねぇのか」
「ああ。東館
第一班の剣士のうち、年上の方が答えた。
「ありゃあ、朝まで掛かるかも知んねぇな。ご苦労なこった。公立博物館のエリート学芸員も楽じゃねぇ、てか」
「ライムント」
フルスは相棒の名を呼んだ。
「覚えておけよ。残業中の学芸員さんの退館時刻は報告書に明記するんだぞ」
「わかってますよ」
言いながら、サミア公立博物館夜警、南側
軽装の
「よし、それじゃ行きますか」
中年の剣士と若い剣士の二人は、
3、ライムント・グリュンブラット
「しっかし、こんな仕事に
若い剣士が、隣を歩く中年の剣士にボソッと言った。
真っ暗な廊下。
ランタンの光が届く狭い範囲だけが暗闇から浮かび上がっている。
「ああ? ひょっとして、怖いのか?」
「だって、不気味じゃないですか。なかなか慣れませんよ。何か出てきそうで」
「おめぇ、まさか幽霊なんて信じてるんじゃないだろうな」
「そう言うフルスさんは、どうなんですか。信じていないんですか?」
「全然、信じちゃいねぇな。今の仕事に転職するまで、ずーっと傭兵団に居たからよ……あちこちの紛争地域で殺した敵の数は十や二十なんてもんじゃねぇ。真面目に数えた事はねぇが、まあ少なく見積もっても、その十倍は行ってるだろうさ。幽霊なんて
「へええ。フルスさん、傭兵団に居たんですか」
「自分で言うのも何だが……十代の頃は結構、
「それが何で、この仕事に?」
「ま、疲れちまったってのが正直なとこか。最前線で殺し合いなんてのは、いつまでも出来る仕事じゃねぇさ。そろそろ潮時か、って思ってたら、知り合いの紹介があってね」
「え? 『コバルド剣士団』って紹介枠あったんですか? てっきり、剣士
「た、たまたま、さ。
若い剣士は知らないが、ブルーシールド商会傘下コバルド剣士団には二つの人種がいた。
「一本釣りでスカウトされた特殊団員」と「
もちろん「スカウト枠」で入った団員の方が
「一般団員」との違いが、もう一つ。「スカウト枠」の団員とコバルド剣士団の間には「たとえ非合法な任務であっても拒否できない」という口頭での約束事が存在した。テオ・フルスにとって幸いな事に、今までそのような指令が彼に下った事は無いが。
今、博物館の暗い廊下を歩いている二人の剣士。
彼らは同じ「コバルド剣士団」に所属していながら実は全く別の待遇を受けている。
その事を、若い方の剣士、ライムント・グリュンブラットは知らない。
「お、おめぇは、どうなんだ?」
年上の剣士が話を
「どうして剣士なんかになった? 切った張ったの世界なんかより、アカデメイアでお勉強……って方がお似合いに見えるがな」
「お似合い……か」
ランタンに
「その『お似合いの人生』ってやつに反逆してみたくなったんでしょうね。何となく予備塾に通って、どうにかアカデメイアに入学して、ほどほどに勉強して、ほどほどに遊んで……ある日突然、そんな生活が嫌になったんですよ。それでアカデメイア退学して剣術道場に入りなおしたんです」
「えっ、途中で止めちまったのか? アカデメイアを? もったいねぇ……さぞかし
「怒りましたよ。怒って大反対しました。でも、そこは強引に押し切りました。勝手にどんどん手続き進めて」
「はああ、分かんねぇな。今どきの若い連中の考える事は、よ。俺と違って、恵まれた家庭に育ったんだろうに」
テオ・フルスは、隣を歩く若い剣士の顔を見た。
長年この仕事をやっていれば、だいたい分かる。目の前の男に、剣士として資質があるかどうか……
(この男は……ライムント・グリュンブラットは、どう見たって、剣士向きじゃねぇ。さっさと足を洗って、まっとうな仕事に
……いつか、死ぬ。
「ところで、フルスさん」
ライムントが話を変えた。
「この博物館に伝わる幽霊話、知ってますか?」
「な、なんだ、おめぇ、急に。さっきまで怖い怖い言ってたじゃねぇか。その手の話が怖いのか好きなのか、どっちかハッキリしろよ」
「怖いけど、好きなんですよ。……で、どうなんです? これだけ古くて大きな博物館だ、幽霊話の一つや二つ、聞いた事あるでしょう」
「知らねぇな。興味ないんでな。聞いたかも知れんが、忘れた」
「ちぇっ。つまんないな。僕は一つ知ってますよ」
「ほう? なら、聞いてやるよ。
「これは北
「女の子ねぇ」
「
「ふうん」
「……で、『あっ』と思って急いで追いかけていくと、その先は行き止まりで誰も居ない」
「まあ、有りがちというか、何というか」
「本当ですって。僕、北
「馬鹿、そりゃ、おめぇ、連中にからかわれてんだよ。新米の若い剣士を怖がらせてやろう、ってな」
「違いますよ。その人の話し方、真に迫ってましたから。あれは演技じゃありませんよ」
「分かった、分かった。さあ、無駄話はこれくらいにして、見回りに集中するぞ」