ハーレム禁止の最強剣士!

怪盗バネ足男、屋上を跳び、スュン、路上を飛ぶ。

1、タルゴン

 オリーヴィアが「水晶のクーピッド」を木箱に戻してふたを閉めようとした、ちょうどその時、資料室の扉が開く音がした。
 二人の女エルフが入口の方を振り返る。
 男のエルフが立っていた。公使館警備担当のタルゴンだった。
「あ、タルゴン。ごくろうさま。今ちょうど部下のスュンに、この『水晶のクーピッド』像について説明し終えたところ。閣下から、話は聞いているでしょう?」
「ああ」
 タルゴンが返事をしながら、スュンたちの立っているテーブルの所まで歩いてきた。
「中身を確認してちょうだい」
 オリーヴィアがタルゴンに言う。
「今のところ、赤ちゃんは無事よ」
 警備担当のエルフは木箱の中を確認したあと、軽くオリーヴィアにうなづいて見せ、ふたを閉めて、それを小脇こわきに抱えた。
「じゃあ、私たちはこれで。あとは、まかせたわ。スュン、行きましょう」
 部屋を警備する人間の剣士二人の間を通り抜けて、スュンとオリーヴィアは東館の廊下に出た。廊下を南館へ向かって歩く。
 スュンが振り返ると、資料室の入口でタルゴンが人間たちに話している所だった。
「これから公使館の警備剣士全員を会議室に集めて、臨時の会議を開くが……お前たちだけは、ここに残って資料室を守るように」
 スュンは、ちょっと心配になった。
(このおよんで、警備全員を一か所に集めて会議? 大丈夫だろうか……)
 オリーヴィアを見る。緑のエルフグリーン・エルフの上司の顔からは、何の表情も読み取れなかった。
 渡り廊下を歩いて東館から南館へ。
 オリーヴィアが自分の執務室の前で足を止めた。
「さて……」
 スュンを振り返って言う。
「ちょっと心残りではあるけど……閣下がタルゴンに一任すると決断された以上、我々に出来ることは、もう無いわ。この件からは、すっぱり頭を離しましょう。私もスュンも当初予定していた今日の業務に戻る。昼までは別々に行動することにして……スュン、あなたは、前もって送って置いた引っ越し荷物の整理を始めなさい。私は私で、提出書類の確認があるから……正午きっかりに、また食堂で会いましょう」
「はい。わかりました」
「じゃあ」
 軽く手を振って、上司は自分の執務室の中に入った。
 スュンは西館の自分の部屋へと向かう。
「バネ足男のジャック……ねぇ」
 廊下を歩きながら、一体いったいどんな怪人物なのだろうと思う。
 五階建ての屋根をひとっびでえるというのなら、よほど強力ながブーツに仕込んであるのだろう。
 それに、それほどのを使いこなすとなると、その者自身の身体能力も並外れているに違いない……
 南館と西館をつなぐ渡り廊下を通り、角を曲がると、自分の部屋の前にペーターが立っていてドキリとした。
 手に見覚みおぼえのある箱を持っている。
「仕立て屋へ行くまでお召しになっていた剣女服を持って参りました。馬車の中に置き放してありましたので」
「あ……ああ。ありがとう」
 言いながら箱を受け取る。
 相変わらず何を考えているのか分からない表情のまま、ペーターはクルリと後ろを向いて、去って行った。
「まったく……いつも予想外の時に、予想外の場所に居るな、あの人間の男は……なかなか慣れそうにない」
 黄金のかぎを取り出し、黄金の取っ手に差し込む。
 カチャッ、と音がしたのを確認して部屋の扉を開け、中に入った。
 とりあえず剣女服の入った箱を机の上に置き、銀剣はベッドのヘッドボードわきに立てかける。
 両開きの窓を全開にした。
 昼前の太陽に暖められた風が、ゆるゆると室内に流れ込んできた。
 ベッドの上に尻を落として「ふぅ」といきく。
 春の穏やかな空気が眠気を誘う。
 このまま倒れ込んで寝入ってしまえたら、どんなにか幸せだろう……と、思いかけ、「いかん、いかん」と首を振った。
「さあ、仕事……昼前に引っ越し荷物の片付けを終えねば……」
 立ち上がって、ふと窓の外を見ると……
 向かい側の建物の窓に、異様な影が見えた。
 今度こそ、はっきりと。

2、バネ足男ジャック

 スュンは上半身を窓から突き出した。
 中庭をはさんだ向かいの建物、東館の四階に並んだ窓の一つが大きく開け放たれている。
 その中に見える影。
 山高帽やまたかぼうに全身黒ずくめの服、目のまわりだけをおおう黒いマスク、黒いマント。
 先端がカールした大きな口髭くちひげ。その口元が「にやり」と笑うのが、遠目に見えたような気がした。
 スュンの背筋に、ぞくぞくっ、と嫌悪感が走った。
 右手に何か小さな物を持っているようにも見える。
(水晶のクーピッド!)
 全身黒ずくめの男が、その右手に持った小さな何かを頭にかぶった山高帽のところまで持っていく。
 しばらく左手で帽子をいじくっていると、そのうち帽子の横腹が、ぱかっ、と開いた。右手に持った物体をその開いた帽子の中に納め、再び元どおりに閉じる。
 それを見て、スュンは、あの大きな山高帽は盗品を入れるポケットのような役目を果たしているのだと気付いた。
 男が、いきなり四階の窓から勢いをつけて飛んだ。
 並の人間なら、敷石に激突して死ぬか、良くて全身打撲骨折の重体、いずれにしろただでは済まない高さだ。
 ……ところが……
 両腕を大きく広げ、黒マントをはためかせながら落下……そして着地の瞬間、かかとに装着された大きなが収縮、それに合わせるように男も自分自身のひざを曲げて込み、地面からの衝撃を完全に吸収してしまった。
 次の瞬間、一気に伸び上がって、と自分自身のあしたくわえられた力を開放し、飛び降りた四階の窓よりさらに高く上昇して、東館の屋根に、すとんっ、と乗った。
 余裕のあるところを見せ付けようとでも言うのか、バネ足男は、すぐに立ち去る事もなく、ゆっくりとスュンの居る西館の窓に顔を向けた。
 にやり……と、ふたたび気色の悪い笑み。
「あのバネ足男、たしかに今、私を見た……私を見て笑った」
 ぞぞぞっ、という嫌悪感とともに怒りが湧き上がって来る。
「馬鹿にしてっ!」
 我を忘れ、スュンは自分の部屋の窓枠に片足をかけた。
「こっちは自由自在に空を飛べる! 飛べない人間の『ばね』なんかに負けるものか!」
 身を乗り出し、もう少しで三階の窓から飛び出そうとした、その瞬間、はっとして思い出す。
(あ……私……今……!)
 下を見る。
 騒ぎを聞きつけた職員や警備の剣士たちが、中庭に集まり始めていた。
(見られる……いま飛び出したら、確実に、スカートの中を見られてしまう)
「もうっ! こんな時にかぎって!」
 叫びながら、部屋の出口へと走った。
 銀剣は持たないで部屋に置きっ放しにして廊下に出る。
 スカートのすそひざのあたりまで持ち上げ、全速力で廊下を走り、階段を二段かしで一階まで駆けおりた。とても淑女レディいとは思えないが、この際かまっていられない。
 中庭に出ると、野次馬根性の人間職員や侍女メイドたちが、ぞろぞろと集まっていた。
 その間を、人間の警備員が、どうして良いか分からず右往左往している。
 スュンは中庭から東館の屋根を見上げた。また、屋根の男と目が合った……気がした。
 次の瞬間、男はマントをひるがえして通りの向こうの建物へと飛び移った。
 何も考えず、とにかく生理的嫌悪感と怒りに突き動かされて、スュンは北門へと走る。
「あっ、スュン! 何処どこへ行くの? 待ちなさい!」
 誰かが自分の名前を呼んだような気がしたが、あえて聞かなかったことにする。
 馬車用の大きな門のわきにある小さな通用口を開けて、公使館の敷地外に出た。
 見上げると、ちょうどバネ足男の影が向かいの屋根に消える瞬間だった。
(走っていたのでは絶対に追いつかない! かといって、空は飛べない……どうする?)
 一瞬だけ考え、すぐに決断する。
 精神を集中させ、浮遊魔法を発動。
 しかし、
 ほんの少し、小指一本分だけ地面から浮き上がり、そのまま地上すれすれをすべるように移動する。
(これなら、スカートの中を見られる心配もない!)
 とりあえずバネ足男が消えた方角へ、馬車通りを滑空し、角を曲がって、屋根を見上げ、男の位置を確認。
(居たっ!)
 黒ずくめの男は、建物の屋根から屋根へ、ぴょんぴょん跳び移りながら、しばらく道路と平行に移動した。
 通りを走る馬車と馬車の間をうように滑空しながら、スュンがそれを追いかける。
 屋根を飛ぶバネ足男の姿を確認しながら、同時に通りの馬車の動きにも気を配り、地面すれすれを滑空するには、相当の集中力を必要とした。
 スュンは、必死にバネ足男を追いかける。
 しばらく通り沿いの追跡が続いたあと、突然、屋根の男が方向を変えた。建物の死角に消えそうになる。
「逃がすか!」
 バネ男を追って、スュンも次の角を曲がった。
 曲がった瞬間、建物の陰から飛び出してきた黒い馬車の脇腹に衝突しそうになった。
 こちらを向き、驚きと恐怖に目をカッと見開いた御者の顔がスュンの脳裏のうりに焼き付く。
「仕方が無い!」
 馬車にぶつかる直前、一気に高度を車体の屋根の高さギリギリまで上げて飛び越す。
 飛び越えた直後、すぐに高度を地面すれすれに戻し、そのままバネ男を追う。
「み……見られちゃったかな?」
 飛び越えた馬車の御者にだけは、スカートの中を見られた可能性がある。
「で……でも、運よく見られなかった可能性もあるし……ま、まあ、良いよね。一人ぐらい見られても……どうせ、あの御者のおじさんには二度と会わないだろうし……」
 気を取り直して見上げると、バネ足男は少し向こうの屋根の上に、逃げもせずに立っていた。
 もう少しで命を落とす所だったスュンの姿を、文字通り「高みの見物」でもしていたのか。
 スュンと目が合った瞬間、マントをひるがえし、再び逃げ始める。
 馬鹿にするにも程があった。
(許さない! 絶対に、許さない!)
 スュンは、道路を滑空する速度を徐々に上げていった。
 ……ところが……
 速度に比例して強くなる「風の抵抗」は計算に入れていなかった。
 スカートの前の部分は、まだ良い。前から来る風の抵抗を受けて布地がももに張り付くだけだから。
 問題は、後ろ側の布地だ。風のあおりを受け、しだいにバタバタとはためきだす。
 はためきは速度に合わせて大きくなり、それにつれてスカートのすそが、ふくらはぎ、ひざもも……と、しだいに浮き上がっていった。
(このままだと、お尻が見えちゃう!)
 滑空しながら、あわてて両手を後ろに回して尻にあて、持ち上がりそうになるスカートを必死に押さえつける。
 それでも出せる速度には限界があった。
 徐々にバネ足男との距離がひらいていく。
 やがて追うものと追われるものは、交通量の多い大通り沿いに出た。
 さすがに、こんなに多くの馬車が走る道路を滑空するのは危険だ。
 スュンは、車道の両側の一段高くなった歩道に素早く目をやる。案外、歩いている人間は少ない。歩道の上を滑空する方が、まだ安全かも知れないと判断。すぐに体をそちらに向けた。
 歩いている人間たちこそ、いい迷惑だ。
 正面からもの凄い速度でせまってくるダーク・エルフの少女を見て、男も女も皆、「ひぃぃ!」と驚いて建物の壁にへばりつく。それでひらけた歩道の上を、スュンは滑空しながら通り過ぎて行った。
(思った以上に動きやすい! 歩行者の方で自分からけてくれるわ!)
 自分勝手に満足したスュンは、視線を上に向け、バネ足男の位置を確認した。いっしゅん歩道前方への注意が、おろそかになる。
 突然、路地から人影が飛び出して来た。ちょっと見ただけでは分からないような細い路地だ。気付かなかった。
 あっという間に、人影との距離が詰まる!
 けきれないっ!
 歩いていた人間の男と、滑空していたエルフの女、激突。
 それでも、二人が軽傷でんだのは、ぶつかる瞬間、男のほうが本能的にスュンと反対方向に自ら跳び、激突の衝撃を後ろに受け流したからだ。
 仰向あおむけに倒れた男の体にスュンがおおかぶさるような格好で二人の体がとまる。
 スュンが上半身を起こす。仰向あおむけに倒れた男の腹の上に馬乗りになる形だ。
 脳震盪のうしんとうでも起こしたのか、視界がぼやけて良く見えない。頭に手を当て、左右に振った。
「あたた……突然、飛び出して来ないでよ! もうっ!」
「そりゃ、こっちのセリフだよ! 何で歩道をあんな速度で飛んでんだよ! 歩道は、歩くから『歩道』っていうんだろ! ていうか、何で飛べるんだよ! あんたエルフかよっ! ……あれ?」
 どこかで聞いた声。
「その声は……ひょっとして……」
 だんだん視力が戻ってくる。
 目の前に倒れている……黒髪の……少年の顔……
「あ……?」
「え……?」
「ああっ!」
「ええっ!」
「ス……スュン……さん……」
「ア……アラツグ……ブラッドファング……」