そんなチートならお断りします。

ゴブリンさん、ごめんなさい。

 ……チャーチャーちゃちゃチャー、ちゃちゃ、チャーチャチャチャ。

 夜明け前、いつものように俺はロードワークに出た。
 頭の中で流れるのは、そう、ボクシング映画の金字塔、ラッキーのテーマだ。

 俺は、NASAの宇宙服技術を応用したとか宣伝している深夜のテレビ通販で買った、銀色のサウナ・スーツで全身を包んでいた。
 ロードワークに出て十分、完全密閉のスーツの外からは分からないが、全身から吹き出した汗で、サウナスーツの中はビショビショだ。

「もっと速く! もっとペースを上げろ!」

 ママチャリに乗って後ろから付いてくるオヤッサン……自称神様、通称斉藤次郎左衛門さいとうじろうざえもんげきを飛ばす。
俺は、オヤッサンの指示に従い、両脚りょうあしに力を込めて加速した。

 それから一時間後、映画ラッキーで、スタろんが駆け上がったフィラデルフィア美術館の階段を、俺も同じように駆け上がった。
 フィラデルフィア美術館前の広場で、昇ったばかりの朝日に向かって、俺はガッツポーズをした。

「お前は強い!」

 オヤッサン兼、神様兼、斎藤さんが叫ぶ。
 いわゆるひとつのイメージトレーニングだ。

「俺は強い!」

 俺も叫んだ。

「お前はチャンピオンだ!」

「俺はチャンピオンだ!」

「お前はチャンピオンだ!」

「俺はチャンピオンだ!」

 そんな掛け合いを十回ほど続けた後、俺はステップを止めてその場に込んだ。

「よーし。良いぞ、予定したルーチン通りだ」

 オヤッサン兼、神様が言った。

「かみさま、サウナスーツ脱いで良いかい。暑くってたまんねぇよ」

 俺はオヤッサンに言った。

「うむ。ちょっと待っていろ」

 そう言いながら神様がママチャリの前カゴから、ガスマスクとセンサーを取り出す。
 マスクをかぶり、すきまが無いか念入りに調べた後、センサーを俺に突き付けた。

「よし、良いぞ!」

 俺は、待ちかねたようにしてサウナスーツのファスナーを開け、つなぎ状のスーツを腰まで脱いだ。
 立ち昇る自分自身の体臭で、クラクラッ、と気を失いそうになる。

 ピピッ、と音がして、センサーに計測値が表示された。

「悪臭レベル160ムレムレ」

 悪臭センサーの数値を見ていた神様が、マスクの奥で満足そうにつぶやいた。

「環境庁が定めた基準値の四倍の濃度だ」

 ……ボトッ。
 空から何かが目の前の石畳の上に落ちた。
 カラスだった。
 十秒ほどピクピク痙攣けいれんしていたが、そのうち動かなくなった。

 死んだカラスを見た神様がニヤリと笑う。

「貴様に強烈ワキガ・チートを与えて早や三ヶ月! やった! ついに完成したぞ! 最強のチート、ジェノサイド・ワキガ・スプレッダーの完成だ!」

「ジェノサイド……ワキガ・スプレッダー」

 俺は自分自身の体臭に耐え切れず、再びサウナスーツを着てファスナーをしっかり閉めながら言った。

「そうだ。半径十メートル以内の生物の体力ヒット・ポイントを一気に削り取って悶絶させるチートじゃ。しかし、その真の威力を確かめる事は、このフィラデルフィア、いや、アメリカ、いや、地球上では不可能じゃ。……さっそく異世界……じゃなかった、異惑星に行って最終試験をするのじゃ! それっ、ワーアアアップッ」

 神様が叫ぶと同時に、俺と神様の体は七色の光を放ち、この地球上から消滅した。

 ……て、あれ?
 俺、いままで地球に居たのか? し、しまった、地球に帰っていたじゃねかっ……あああ、神様にだまされたァァァァァ……
 と、言いながら、俺は気絶した。

 ……ちゅん、ちゅん、ちゅん……
 スズメの鳴き声が聞こえる。
 っすらと目を開けた。どうやら森の中のようだ。

「う~む」
 うなりながら上体を起こす。

「おお、気が付いた様じゃの」
 神様が言った。

「こ……ここは、どこですか? 神様?」

「異世界……もとい、異惑星じゃよ」

「い……異惑星? またワープしたんですか」

「そうじゃ。ここは良いぞ。まるで絵に描いたようなエセ中世ヨーロッパ風世界じゃて。モンスターもタンマリ出てくるでよ」

「モ、モンスターって、そんな物に会いたくありません。フィラデルフィアでも熊谷でも、どこでも良いですから、さっさと俺を地球に返してください」

「それはダメじゃ。まだ最終テストが終わっとらんでよ。チートの」

「最終テスト?」

「そうじゃ……ムッ!」

 何かを感知した神様が、素早く森の中を見回す。

「どうしたんスか、神様」

「シッ」

 神様が静かにしろと合図をする。

「さっそく、お出ましじゃわい。実験材料たちが……」

 ……ガサッ、ガサガサ……
 周囲の下草が、不自然に揺れる。
 何かが隠れているのか……それも一匹じゃない。

「七匹……いや、八匹じゃな……見事に周りを囲まれておる」

「八匹って……いったい何が?」

「ゴブリンじゃよ。異世界……じゃなかった、異惑星に行ったら最初に出会うのはゴブリンと決まっておろう」

「ゴ……ゴブリン、って、ヤバいじゃないですか。しかも八匹も」

「大丈夫じゃ。安心せい。おぬしの最強チートがあれば、一発じゃ」

「ほ、ほんとですか?」

「八匹が半径十メートルの射程範囲に入ったのを見計らって、先ほどと同じように、その完全密閉のサウナスーツを脱ぐのじゃ。良いな」

「は、はあ……」

「ああ、言い忘れる所だった。スーツを脱ぐと同時にチートの技名を大声で叫ぶのじゃぞ。技の名前は憶えておるか」

「たしか、ジェ、ジェ……」

「ジェノサイド・ワキガ・スプレッダーじゃ」

「ジェ、ジェノサイド・ワキガ・スプレッダー……」

「そうじゃ。じつは、その技名は、最強のチートに対する、カウンター・チートの呪文も兼ねておる」

「カウンター・チート?」

「つまり、その呪文を大声で唱える事により、お主自身へのワキガ効果が中和され、本人だけはワキガ・スプレッダーの影響を受けなくて済む」

「そうなんですか……それは、ありがたいなぁ」

「さあ、いよいよ、おいでなすったぜ。いいか、腹の底から、大声で叫ぶのだぞ」

 神様は「がんばれよ」という風に俺の肩を叩いて、木の陰に隠れてしまった。

 ……ざざざざざ……
 下草をかき分け、が現れた。

 全身緑色のゴブリン。ロールプレイングゲームのグラフィックそのままだ。
 手には原始的な棍棒を持っている。
 
 俺は、八匹のゴブリンに完全に囲まれる形になった。

 じりっ、じりっと、にじり寄って来るゴブリンたち。
 すべてのゴブリンが半径十メートルの距離まで近づいた所で、俺は先ほどと同じように銀色に輝くツナギのファスナーを開け、上半身だけスーツを脱いだ。

 そして同時に叫んだっ。

「ジェノーッサイドゥゥゥ・ワッキィィガッ・スプレッッッダーァアアアア」

 俺の周囲に目に見えない臭い衝撃波が走り、八匹のゴブリンたちは一瞬にしてその場で悶絶してしまった。

「お見事じゃ」

 俺がサウナスーツのファスナーを引き上げたのを見て、神様が遠くの木の陰から姿を現した。
 相変わらず卑怯ひきょうなジイさんだ。

「よぉーし。これで、ワキガ・スプレッダーの威力は充分に証明された」

「もうオッケーですか? じゃあ、俺を地球に返してください」

「いいや、まだじゃ」

「何でですか。チートの威力は証明されたんでしょ?」

「おぬしには、もう一つ、大技チートを習得してもらう」

「えぇえーっ」

 俺は、あからさまに嫌そうな顔をして見せた。