青葉台旭のノートブック

映画「怪談牡丹燈籠」を観た

映画「怪談牡丹燈籠」を観た

U-NEXT にて。

脚本 野淵昶
監督 野淵昶
出演 東千代之介 他

一般社団法人 日本映画製作者連盟のページ

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ひとこと感想

1955年、東映。
上映時間56分。
いわゆるプログラム・ピクチャーだろうか。

1950年代、日本映画の黄金期。
この時代に作られた小品には、何処(どこ)かしら牧歌的な雰囲気が漂う。
それが心地良い。

お露の幽霊話だけを原作から抜き取って1本の映画に仕立てている。
話自体も原作から大きく改変されている。

物語の終盤、多数の侍たちが主人公を取り囲み、唐突にチャンバラが始まった時は驚いた。
何十人もの敵をバッサ、バッサと切り倒した主人公が、最後の最後で瀕死の敵に急所を突かれて絶命し、お露の霊とともに天国へ昇っていくというハッピーエンド? だった。

ラスト・シーンを観ながら、ふと私は、以下のような疑問を持った。

「主人公カップルが死後に天国で幸せになるという改変には、まあ目を瞑(つぶ)るとしても……その直前、何十人もの侍が主人公に切り殺されているよね? 彼らの霊魂は、どうなったの?」

ホラー(幽霊話)の作劇術として、「その他大勢の死」を意識させるのは良い手ではないと思う。
「日々この世界では無数の生物が生まれ、死んでいる。その中で何故(なぜ)あなただけが幽霊になれたんですか?」
という、心霊ホラー最大の弱点を意識させてはいけない。

敢(あ)えて意識させる道を取るのなら、その人物が幽霊になった特別な理由(例えば、世界でたった一人の超能力者だった、とか)を用意するべきだ。

2022-07-21 11:56