青葉台旭のノートブック

「モンティ・ホール問題」について

最近「モンティ・ホール問題」というものを知った。

昔、モンティ・ホールという司会者が出演するテレビ番組で行われていたゲームに由来する。

ゲームのルール

分かりやすいようにカードに置き換えて説明する。

  1. 3枚のカードが伏せて並べられている。うち1枚が「当たり」で2枚が「ハズレ」である。
  2. 親は、どのカードが当たりかを知っているが、プレイヤーは知らない。
  3. プレイヤーは3枚のうち1枚を選択するが、まだカードを裏返してはいけない。自分が選んだカードの当たり/ハズレを知る事は許されない。(第1の選択)
  4. 親は、残った2枚のうち、ハズレのカードを1枚だけ取り除く。
  5. 場には、プレイヤーが選択したカード(伏せられたまま)が1枚と、もう1枚のカードが残っている。
  6. 場に残った2枚のカードから1枚を選び直すチャンスが、1度だけプレイヤーに与られる。最初に選んだカードを再度選んでも良いし、もう1枚のカードに変更しても良い。(第2の選択)
  7. カードが捲(めく)られ、当たり/ハズレが決定される。

マリリン・ボス・サバントの問いと答え

史上もっともIQの高い人物としてギネス認定されたマリリン・ボス・サバントという人が、こんな問いかけをした。

問い「第2の選択で、カードを変更した方が得か、それとも変更せず最初に選んだカードのままの方が得か?」

サバント曰く、この問いの答えは以下になる。

答え「カードを変更すると、当たりの確率が2倍になるから、変更した方が良い」

数学者たちの反響

このサバントの問いと答えに対し、アメリカ全土の名だたる数学者たちが一斉に反論した。

「カードを変更しようが、変更しなかろうが、確率は2分の1だ」と。

しかし正しいのはサバントで、当時反論した数学者たちは間違っていたと、現在では証明されている。

私も最初は騙された

私も、最初は、『第2の選択』でカードを変更しようが、変更しなかろうが確率は2分の1だろうと思っていた。

「だって、第1の選択と第2の選択は互いに独立した行為なんだから、第1の選択が第2の選択に影響を及ぼすはずないだろ」と。

もし、カードを変更した方が当たり確率が上がるのなら、例えば、第1の選択をした後でプレイヤーを別室に連れて行き、代わりに、それまでの経緯を全く知らない別のプレイヤーを連れてきて選ばせたら、どうなるのか?
伏せられたカードのうち一方が当たりで一方がハズレなんだから、やっぱり確率は2分の1だろ、と思った。

やっぱりサバントが正しかった

しかし、よくよく考えてみると、確かにカードを変更しなかった時の当たり確率は3分の1で、変更すると確率は3分の2になる。

何故かと言えば、第2の選択直前の時点で、場に伏せられた2枚のカードの内訳は「当たりカードが1枚、ハズレ・カードが1枚」に必ずなっているからだ。

最初に選んだカードが当たりなら、もう1枚は必ずハズレで、最初に選んだカードがハズレなら、もう1枚は必ず当たりになっている。

だから、第2の選択でカードを変更すると当たり/ハズレが必ず逆転する。
第1の選択でハズレを引いていれば必ず当たりに、当たりを引いていれば必ずハズレになる。

第1の選択で当たりを選ぶ確率は3分の1、ハズレを選ぶ確率は3分の2。
それが逆転するのだから、カード変更後の確率は、当たりが3分の2で、ハズレが3分の1になる。

それでも悩んだ

確かにサバントの言う通り、第2の選択でカードを変更すると確率は2倍になる。

それでも私は悩んだ。

「しかし、じゃあ、それまでの経緯を全く知らない誰かを連れてきて第2の選択をさせたら、どうなる?
伏せた2枚のカードのうち1枚が当たりで1枚がハズレなんだら、やっぱりどちらを選ぼうと確率は2分の1じゃないか?」と。

しばらくして、はたと気づいた

あっ、そうか、最初に選ばれたカードには、 マーカーが付いているのか

言ってみれば、最初に選ばれたカードには、マジックで『このカードを最初に選びました。その時の確率は3分の1でした』というサインが書かれているようなものだ。

そして親がハズレ・カードを1枚抜くことで、見ための確率は2分の1に偽装される。
マーカーの付いているカードが当たりである確率は3分の1のままであるにも関わらず、だ。

親の存在

ここで重要なのは親の存在だ。

まず大前提として、親は どのカードが当たりか知っている

そして第1の選択後、第2の選択前に、ハズレ・カードを一枚取り除くという行為によって、ゲームに干渉している。

これによって、親は、あたかも確率が2分の1であるかのように偽装する。(親が意図する・しないは関係ない。ハズレ・カードを1枚抜くという行為が、実質的に『偽装』として機能する)

別の言い方をしよう。

親がハズレ・カードを場から抜くと言う行為は、プレイヤーの当たり確率を上げる。
第1の選択でプレイヤーが選ばなかった2枚のカードのうち 確実にハズレ札だけを取り除いているのだから、それだけで単純に、残った札の当たり確率は2倍に跳ね上がっている

答えへの道筋を知って、やっとスッキリした

ここまで辿(だど)り着くのに、ずいぶん時間が掛かってしまった。

ようやくスッキリした。

持っている情報によって確率が変わる

今、目の前に2枚のカードが伏せられた状態で並んでいる。
1枚が当たりで、1枚がハズレであるという事だけはわかっている。

カードを選ぶチャンスは1度切り。右か、左か。

他に何の情報も持たないプレイヤーにとっては、確率2分の1だ。

しかし、そのカードがどういう経緯を経て目の前にあるのかを知っている者にとって、確率は必ずしも平等に2分の1ずつではない。

極端な話、イカサマをしてカードの裏側を知っている者にとっては、例えば「右が当たりの確率100%、左が当たりの確率はゼロ」という事になる。

町を歩いている人を無作為に連れて来て、その人物が右利きか左利きかをプレイヤーに当てさせる。

両手利きとか、そういう特殊な例は除外する。
右か左、どちらかが必ず利き腕である。

さてプレイヤーはどちらを選ぶだろうか? 右か? 左か?

もちろん、大部分のプレイヤーは右を選ぶだろう。
右利きの人間の方が圧倒的に多いと誰もが知っているからだ。

しかし、そんな事を知らない宇宙人を連れて来て、1回だけ同じ質問をしたら、どうだろうか?
その宇宙人にとって、確率は2分の1という事になる。

競馬を全く知らない人間を1度だけ競馬場に連れて来て、10頭の馬の中から1着を選べと言ったとする。
彼にとって、10頭の馬のうち任意の馬が勝つ確率は、どれも平等に10分の1だ。
しかし博打好きにとっては、そうでは無いだろう。

情報を全く持たないプレイヤーの1回こっきりの試行は、確率が平均化される。
3枚のカードなら、3分の1。
右か左かなら、2分の1。
10頭の競馬なら、1着を当てる確率は10分の1。
何も知らなければ、そして1回こっきりの賭けなら、それは「私が選ぶ」という行為のみによって成立している賭けだ。
選ばれる側の確率偏差それ自体が賭けの中に組み込まれる。
情報が増えると、その情報に関する未知数が確定し既知の物になるので、その要素は賭けの不確定性から取り除かれ、当たりを引く確率が上がる。

別の方向から表現してみよう。
あなたは、友人と2人で陸上競技場の観客席にやって来た。
スタートラインには6人の男たちが立っていて、今まさに競技を始めようとしている。
そのうち、第1コースの男だけが筋骨たくましく足が速そうで、残りの5人の勝ち目は無さそうだ。
あなたの友人が言う。
「誰が1位になるかを当てたら、1万円あげるよ」
あなたは、内心(しめしめ、楽勝だ。第1コースの男が勝つに決まっている)と、ほくそ笑む。
この時点で、あなたの勝率は限りなく100%に近い。
ところが、あなたの友人は、続けて奇妙な事を言う。
「ただし条件がある。どの選手に賭けるかは、サイコロを振って決めてくれ」
この瞬間、あなたの勝率は100%から、わずか6分の1に下がってしまう。
事前の情報無し試行すると言うのは、例えばこういう事だ。
同じレースでも主観的な確率は全く違う。

2022-05-01 12:49