青葉台旭のノートブック

映画「マリグナント 狂暴な悪夢」を観た

映画「マリグナント 狂暴な悪夢」を観た

U-NEXT にて。

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脚本 アケラ・クーパー
監督 ジェームズ・ワン
出演 アナベル・ウォーリス 他

このところ田舎町を舞台にしたホラーを連続して観ていたのだが、今回はシアトルが舞台のホラー映画。
シアトルの街並みが美しい。
ビル・ゲイツとジェフ・ベゾスとイチロー選手は、この街に住んでいたのか……
もっとも、映画は良い所しか切り取らない。
シアトルに限らず、どんな街にも良い所もあれば悪い所もある。
特に近年は、アメリカのどの都市でもホームレスが急増しているという。

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ひとこと感想

とても面白い映画だった。

序盤・中盤と、最後の25分で全く違う映画になる。
特に最後の25分が素晴らしい。

以下の3点について書く。

  1. 序盤・中盤
  2. ラスト25分
  3. 最後のオチ

序盤・中盤

序盤から中盤にかけては、ホラー映画というよりもサスペンス・スリラー映画のような感じで話が進んでいく。

まあ何しろ、優等生的な映画づくりだ。

カメラ構図、お話の運び方、観客に与える情報の量など、とにかく全てが優等生的で、過剰さも無いし不足も無い。

この監督、きっと映画学校時代は常にトップの成績で、アダ名は『出木杉くん』だったんだろうな、っていうくらいに優等生的。

もちろん優等生である事は、無能であるより遥かに良い。

ただ、観ている私の中に「優等生的だなぁ」と思うだけの余裕があったのも事実だ。
序盤・中盤までは、我を忘れて映画に『のめり込む』感覚は得られなかった。

若い世代の映画監督らしく、CGの使用を前提とした奇抜なカメラ・アングルも散見されるのだが、それとて今となっては想定の範囲内だ。

ラスト25分

警察の留置所で主人公が怪物『ガブリエル』として覚醒してからの25分は、本当に素晴らしかった。

往年の日本の時代劇における『連続30人斬り』みたいな、敵を次から次へと、バッタバッタと倒していくアクションが文句無しに素晴らしく、我を忘れて見入ってしまった。

しかも、人体の表と裏が逆になっている事から来るグロテスクさがあって、それがアクションに素晴らしい新規性を与えていた。

最高にカッコ良く、最高にグロテスクなアクションの連続を堪能した。

最後のオチ

最後のオチは、率直に言って、不満だった。

それまで100点満点で来ていたのに最後の最後でミソが付いてしまった。

「脳が繋がっているから」と強く念じただけで、何の代償も無しに怪物をコントロール下に置いてしまう主人公。
まるで「友情パワー」で急に強くなる出来の悪い少年漫画のヒーローみたいだ。

しかも怪物の超人的な身体能力まで、主人公は手に入れてしまう。
ここまで来て最後は『何でもあり』のご都合主義かよ……と白けてしまった。

最後の最後、主人公=怪物の母親に「ガブリエル、あなたを捨ててごめんなさい」などと泣きを入れさせ、さらに、主人公が流産を繰り返したのは実はガブリエルの仕業だったと妹が暴(あば)く事によって、

母親=かわいそうな被害者、
ガブリエル=やっぱり悪い奴

という構図を確定させ、その上で母親を救いガブリエルに罰を与えるという態(わざ)とらしさが、鼻に付いた。
ああ、ここで観客に『良いもん』と『悪もん』の仕分けをさせて、勧善懲悪的なオチを付けたんだろうなと思った。
妹がそんな事を知っているというのも理屈に合わないし、主人公が夫の暴力を受け後頭部を壁に打ちつけられた事によって長らく眠っていたガブリエルが目覚めたという設定と矛盾している。

この病室のシーンでは、主人公=怪物ガブリエルの体の向きに混乱が生じている。
今この瞬間、主人公=怪物が、母親と妹のどちらの側に顔を向けているのかが分からない。

お話的にも、構図的にも、色々と雑な病室シーンだった。

何でもかんでもスーパーヒーロー物にするな

……と、最後の最後に思ってしまった。

追記(2022-2-12)

ガブリエルのキャラ設定について。
ラストの病院のシーンにおけるガブリエルのキャラ付けは『完全に邪悪な存在』というより、やっぱり『彼もまた可哀想な被害者である』という着地なのかも知れないと、後で思った。

ガブリエルにも多少の感情移入の余地があった方が、例えば『寄生獣』や『ヴェノム』のような、『正義と悪の人格が1つの体を共有する、二重人格かつバディ的ダーク・スーパーヒーロー』を作りやすいだろう、と思った。

2022-02-11 04:53